2012.11.23

猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」

書きたいことが二つある。

まず一つは、以前にも書いたのだが、猪瀬直樹には文筆業に専念して欲しいということだ。
この「昭和16年夏の敗戦」は「ミカドの肖像」に並ぶ名作だ。題材と切り口が素晴らしい。これほどのノンフィクション・ドキュメンタリーを書ける現役作家はそうそういない。こういう作品を通じて多くの人々に影響を与えることができるのだから、都政など他の者に任すべきだ。都民の一人としてあえて言っておきたい。

書きたいことの二つ目は、この本の内容についての本論。
この本の中心となる総力戦研究所はそれほど秘密に満ちた組織ではなかった。発足時の昭和15年10月にはそのことが新聞報道されたし、戦後の極東軍事裁判法廷でも証人喚問が行われた。
この総力戦研究所は非常に画期的な組織で、ベスト・アンド・ブライトネスと呼ぶに相応しい若手エリートたちを政府と軍と民間から招集し、天皇勅命による内閣直属の機関として設立された。総力戦研究所のクライマックスは、研究所員による模擬内閣が日米戦をシミュレーションし、日本敗戦の結論にたどり着くくだりだ。
日米戦のポイントは石油の確保だった。アリメカに石油を禁輸され、石油確保のためにインドネシアの油田を占領するが、アメリアの潜水艦にシーレーンを断たれ敗戦。このシミュレーションの結果の通りに歴史が動く。
もし中国からの撤兵をシミュレーションしていたら、どのような結果になったのだろう。満州や台湾の権益を維持して日米開戦を避けられたのだろうか。
また昭和16年10月18日の東條内閣成立の内幕と、同年12月8日の開戦までの東條の苦悩の立場について、この本は非常に分かり易く書いている。天皇は開戦を避けるために東條をあえて首相に据え、陸軍統帥部を押さえ込むことを期待した。しかし天皇に完全服従の東條さえも、開戦に動き出した歴史の歯車を止めることできなかった。
戦前の日本の構造は全くもってシニカルだ。天皇の直轄である統帥部が暴走し中国に戦線を拡大し泥沼化。それを負け博打で終わらせたくないがために日米開戦という博打を打つ。天皇は憲法を尊重したがゆえに、その無謀を止めることができなかった。憲法が統帥権という怪物を産み出し、その飼い主であるはずの天皇は何も出来ないという構図だ。
猪瀬はこの構造について、明治時代には元勲たちのコントロールによって正常に機能していたというようなことを書いている。なるほど。
仕組みとそれに携わる人の要素は不可分だということだ。身近なところでも、このことは教訓になる。

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2012.03.10

前田靖一著「鮮烈・ビスマルク革命」

Bismarck
大著読了。
そもそもオットー・フォン・ビスマルクの評伝において、日本語で読めるものは限られている。ドイツ語であれば多少はあるのだが、流石にそれを読む意欲も、語学力もない。
誰もが漠然と認識している通り、ビスマルクは聖人君子などではない。策略の限りを尽くす典型的なマキャベリストだ。とは言え、オーストリーやフランスに戦勝し、ドイツの統一を果たした手腕は、並大抵の知謀ではない。喧嘩好きで、傲慢でありながら、緻密な思考と柔軟な戦略を持っていた。特に外交では、敵を味方にし、味方を敵にすることを繰り返し、自国を常に有利なポジションに置いた。
その一方で、上司である国王や皇帝との確執に心を痛めていた。
本著の不満を言えば、参謀総長のモルトケの登場場面が少ない。いくらビスマルクが政治家として優れていても、モルトケの軍事力なしでは、近隣国に強気の姿勢を貫けなかったはずだ。

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2011.12.18

児玉源太郎について

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坂の上の雲」における魅力的な登場人物の一人に、児玉源太郎がいる。
テレビで高橋英樹は児玉を、直情型の猛将のように演じたが、原作ではズル賢さも兼ね備えた小男だ。
原作にこんな一節がある。

「戦略に、政略が入ってはいけない」という軍事学の原則を、児玉は平気で無視するのである。戦略戦術は、それのみを目的として純粋思考をおこなうべきであり、そういう意味で純度が高かるべきものだが、児玉はそうではなかった。

事実児玉は、軍人の枠をはみ出して、台湾総督などでも成果を残したし、日露戦争中も戦場だけでなく、世界情勢までに目が行き届いていたようだ。
司馬遼太郎はこうも書いている。

児玉は、純粋に作戦家であるには、あまりに大きな、つまり一国の安危を背負うという別次元の政略的課題まで背負いこんでいる立場にあった。つまり日本そのものを、児玉は背負っていた。

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2011.11.19

堀田善衛著「グラナダにて」

堀田善衛は憧れの作家だ。
世界を旅し、海外にも暮らし、インテリで、スッキリとしていて、それでいて毅然とした小説や散文を残している。
この「グラナダにて」は、集英社文庫の「バルセローナにて」に収録されているエッセーの一つであるのだが、その冒頭こそ著者がグラナダに暮らし始めた諸々が記されてはいるものの、大半が15世紀の女王フアナを主人公とした中編小説の体をなしている。
フアナはアラゴン王フェルナンド2世を父に、カスティーリャ女王イサベル1世を母に持つ。この両親の結婚譚については以前、佐藤賢一の爽快な短編小説「エッセ・エス」で紹介した。
ところがフアナの生涯は波瀾万丈で、イスラム王朝をイベリア半島から追い出し、統一されたスペイン王国のお姫様としての明るく晴れやかなものではなかった。フアナは精神を病み、「フアナ・ラ・ロカ」と呼ばれた。ラ・ロカとは狂女という意味である。
フアナは現在のオランダを統治していたブルゴーニュ公フィリップと結婚し、後のスペイン国王と神聖ローマ皇帝を兼ねたカルロス1世(カール5世)を生んだ。つまりフアナは狂女と呼ばれながらも、歴史上非常に重要な役割を果たしているのだ。
堀田善衛はフアナを取り巻く歴史大絵巻を、見事な中編小説のように、非常に分かり易くエッセイの中に書き込んだ。
佐藤賢一の短編小説「エッセ・エス」と、堀田善衛のこのエッセイ「グラナダにて」を続けて読めば、スペインの歴史の重要な時代を手軽に理解できる。

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2009.05.17

童門冬二著「勝海舟の人生訓」PHP文庫

Kaishu20年前に買って読んで、それ以来ときどき書架から引っ張り出して再読している。
仕事でウダウダ悩んだり、迷ったりしているときに読むと、頭がサッパリとする。
童門冬二の本はいずれも読み易くて好きだ。史実に忠実とは言えない部分もあり、認識にも偏りがあるのかもしれないが、それを理解した上で読めば、エピソードの奥にある本質を掴み取る事が出来る。
特にこの本の材料となっている、勝海舟の生き方には共感するところが多い。ついつい自分に重ね合わせてしまう。人との交流のスタイルや、窮地に追い込まれた時の行動など、大いに参考になる。
勿論海舟は聖人君子ではない。むしろ狡賢いマキャベリストだろう。長生きはしたが、多くの敵に囲まれて、幸せな人生だったとは言えないかもしれない。それでも龍馬や西郷を魅了し、海舟の示した道筋通り、日本は最小限のダメージで、史上最大の危機を脱し、大変革を遂げたのだ。もし海舟がいなければ、幕府と薩長は泥沼の内戦に突き進み、欧米の介入を受け、日本は植民地化されていたかもしれない。

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2008.03.11

福田和也著「地ひらく 石原莞爾と昭和の夢」

4部構成、全65章の大著である。石原莞爾の評伝なのであるが、石原の登場率が低く、時代背景への言及が多い。そのためか読了後、石原莞爾とは結局何者だったのか良く分からない。
貧しい家庭に生まれながら、陸軍幼年学校から、士官学校、陸軍大学、ドイツ留学とエリート・コースを歩んだ天才。根は悪い奴ではないのだが、頭が良すぎて周りを馬鹿にしたところがあり、世の中に馴染めず孤立していた。戦略家であるくせに、理想主義者であり、横暴であるのに、心やさしい面もあった。
そんな石原莞爾が主犯となった満州事変についても、この本では核心に迫っていない。それどころか、まるで石原莞爾が脇役であるかのごとく淡々と書かれている。
満州の地に理想郷を夢見た石原莞爾が、なぜ満州事変という謀略を行ったのかに迫っていないのだ。石原ほどの見通しの利く男が、理想のためならば手段を選ばないなどという、幼稚な理由で画策したとはどうしても思えない。その結果生まれた満州国は、石原の夢見た理想とはほど遠い、インチキ国家になってしまったし、日本社会に謀略すら正当化されるような思想風土を植えつけてしまった。
確かに石原が考えた理想国家は素晴らしい。日本をはじめとするアジア諸国が、欧米列強と肩を並べるための方策としては、歴史的偉業かもしれない。今でこそ日本人が人種差別の的になることは少ないが、20世紀初頭には黄禍論が依然根強く、欧米首脳でさえ日本人を劣等人種だと思っていた。そのような世界の雰囲気を十二分に理解していた石原にとって、理想への邁進だけが唯一の救いの道だったのかもしれない。
著者福田和也は石原贔屓で、石原の功罪をバランスよく書いているとは言えない。その代わり、石原の登場しない時代背景を書いた章は、なかなか素晴らしい。
ルーデンドルフを中心に捉えた第1次世界大戦への言及については、興味深いものであるし、日中戦争中の蒋介石の立場も分かりやすく書かれていた。昭和12年7月の盧溝橋事件から12月の南京攻略までに、何度も講和のチャンスを逃したくだりでは、歴史のifを考えずにはいられなかった。この盧溝橋事件当時、石原は参謀本部第1部長として不拡大の方針を持っていたが、その力は及ばず、泥沼の戦争に突き進んでいく結果となった。因果応報である。
石原莞爾の夢は、満州を完全な多民族独立国家にすることだった。日本の支配を排除するためには、日本とも戦争するつもりだったのだろう。その独立戦争の中で、戦死するのが夢だったのではなかろうか。

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2008.01.21

西木正明著「梟の朝 山本五十六と欧州諜報作戦」文春文庫

ノンフィクションだと思って読み始めたら、一人称で語る主人公が著者ではなく、実在しない固有名詞も現れ出したので、何だフィクションかと気軽に読み進めた。ところがあまりの謎解きの面白さに、読むことを中断できなくなり、結局朝に読み始め、晩に読み終えてしまった。こんな読書は久しぶりだ。
ネタバレになるので内容は詳しく書けないが、第2次大戦中の日本の諜報活動を、フリーライターの主人公が謎解きの旅をするのである。とにかく序章を読んだだけで、これは凄いと思った。
そして読み終わって、少し調べてみたら、ことごとく実在したのだ。キーとなる登場人物も、謎の諜報機関も。フィクションなのか、ノンフィクションなのか、分からなくなった。
フォーサイスのオデッサ・ファイルに匹敵する傑作だ。

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2007.11.11

"Sea of Thunder" by Evan Thomas

Seaofthunder太平洋戦争の海戦記。
アメリカ側をハルゼー、日本側を栗田健男の両提督を軸に、レイテ沖海戦が詳しく書かれている。日米双方とも、いくつものミスを犯した凡戦であったことが分かる。と同時に、過酷な戦場で正しい判断を下すことの難しさも充分理解できた。
両軍にとって後味の悪いこの海戦から学ぶことは多い。結果的には日本艦隊の大敗ではあったが、ハルゼーにしてみれば日本艦隊を壊滅できず取り逃がしたことになった。
ハルゼーは戦後、原爆投下を無慈悲で戦争終結に不必要であったと言っている。日本人を嫌っていたハルゼーのこの発言の裏には、もしレイテ沖で日本艦隊を壊滅できていればという気持ちが残っていたのではないだろうか。
もしレイテ沖で日本艦隊を壊滅できていれば、米艦艇は一気に日本本土に近付くことができた。それこそ相模湾から艦砲射撃で東京や横浜の軍施設を狙えた。これが出来ていれば、B29による無差別爆撃の必要もなく、東京大空襲も原爆投下もなかったかもしれない。
その代わり日本が徹底抗戦していたら、九十九里か湘南が第2のノルマンディーなっていたかもしれない。

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2007.11.01

Band of Brothers

Band_of_brothersずっと買い置き状態だったDVDボックスを観終えた。全10話の連続ドラマで、各話1時間前後。毎晩2話ずつ観て、昨夜全話観終えた。
第2次大戦の欧州戦線でのアメリカ空挺部隊の話。本国での訓練に始まり、ノルマンディー作戦マーケット・ガーデン作戦バルジ応戦、そして終戦までが丁寧に描かれている。
製作総指揮をスピルバーグとトム・ハンクスがしており、映画「プライベート・ライアン」と同じ雰囲気に仕上がっている。そのため同作からスピンオフした続編を観るように、西部戦線全体を把握できる。
単なる武勇伝ではなく、米兵による略奪や捕虜の射殺シーンなどもあり、戦争を美化していない。また戦闘シーンは、プライベート・ライアン以上にリアルでグロテスク。まさしく地獄絵図である。
但し最終話ではアルプスの美しい風景の中で終戦を迎え、野球に興じる兵隊の笑顔がまぶしい。

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2007.10.02

NHKスペシャル「映像の世紀」

Eizo最近連夜このTV番組をDVDで観ている。
1995年からの初回放送時にも観たし、何度かの再放送でも観た。その上数年前DVDボックスでも購入し、こうして繰り返し観ている。
まず、加古隆のテーマ音楽が非常に素晴らしい。番組冒頭でこの曲が流れると、目を閉じていても、20世紀の悲劇が万華鏡のように迫ってくる。
実際の歴史的映像で歴史振り返るという、この当たり前のコンセプトが素晴らしい。テレビという映像装置の最も根源的な機能を活用している。作り物の映像ではなく、本物で視聴者に伝えようとする姿勢が良い。
もちろんTV番組であるから、20世紀の歴史をこれだけで学ぼうとするには不充分だが、入門編としては最適である。ここから興味や関心のある事件や人物に取り組めば、充分勉強になる。
つまり自分自身何度もこの番組を観ることで、そのたび入門者に立ち返り、虚心坦懐で歴史と向き合えるのだ。

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