2009.10.04
雑誌「東京人」2009年11月号が「映画の中の東京」という特集を組んでいたので、手に取ってみたら、大瀧詠一が川本三郎を相手に、かなりマニアックな成瀬映画の楽しみ方を語っていた。何より驚いたのはメディアに出る事のない大瀧が、写真に写っている。これは仙人か火星人を写真に収めたような快挙ではないか!
大瀧の話を理解するには、成瀬巳喜男監督の「銀座化粧」と「秋立ちぬ」の2本の映画を観て、川本三郎の「銀幕の東京」という本を読み、東京都中央区界隈の地理を把握していなければならない。とにもかくにも、大瀧の偏執狂には驚きを越えて、呆れる。
大瀧さん、お願いですから、仕事してくださいよ。そのエネルギーを音楽制作に使いましょうよ。
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2009.09.26
著者の奥山氏は、自動車のデザイナーとして世界的に活躍してきた人。
代表作は、マセラティ・クアトロポルテ、エンツォ・フェラーリ、フェラーリ・スカリエッティなど。
海外で肉食動物たちを相手にクリエイティブな仕事をする気分や、成田に降り立ってホッとする感じは、凄く理解できる。
この本を読んで、働く事や仕事の意義を少しだけ考えた。個人があってのチームだという意見にも同感できる。
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2009.08.01
この短編小説で松本清張は43歳にして芥川賞を獲り、プロの作家としての道を歩み出した。遅いデビューであった。しかしこの作品は昨今の芥川賞受賞作に比べれば、雲泥の差とも言えるほど格調高く、明治大正の文豪たちの余韻を残すものである。
主人公の田上耕作は言葉と左手、片足が不自由で、生涯収入のある仕事にはつけず、妻を娶る事も出来なかったが、学業は優れ、知的探究心も強かった。耕作はあることをきっかけに、散逸した森鷗外の「小倉日記」の空白を埋めるべく、当時の鷗外の足跡を訪ね歩き始める。
この謎を解いていく手法は、清張後年の推理小説を彷彿とさせ、それこそ鷗外の傑作「渋江抽斎」をも思い起こさせる。何よりも主人公田上耕作は、前半生を不遇に過ごした清張自身の投影であるかのようにも読み取れる。
夏目漱石と森鷗外の位置関係のように、昭和の文壇には司馬遼太郎と松本清張がいた。司馬遼太郎の大衆小説を司馬史観などと神格化する現代の風潮を知ったら、司馬自身苦笑するだろうし、清張はどれほど不愉快な顔をするだろうか。
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2009.05.17
20年前に買って読んで、それ以来ときどき書架から引っ張り出して再読している。
仕事でウダウダ悩んだり、迷ったりしているときに読むと、頭がサッパリとする。
童門冬二の本はいずれも読み易くて好きだ。史実に忠実とは言えない部分もあり、認識にも偏りがあるのかもしれないが、それを理解した上で読めば、エピソードの奥にある本質を掴み取る事が出来る。
特にこの本の材料となっている、勝海舟の生き方には共感するところが多い。ついつい自分に重ね合わせてしまう。人との交流のスタイルや、窮地に追い込まれた時の行動など、大いに参考になる。
勿論海舟は聖人君子ではない。もしろ狡賢いマキャベリストだろう。長生きはしたが、多くの敵に囲まれて、幸せな人生だったとは言えないかもしれない。それでも龍馬や西郷を魅了し、海舟の示した道筋通り、日本は最小限のダメージで、史上最大の危機を脱し、大変革を遂げたのだ。もし海舟がいなければ、幕府と薩長は泥沼の内戦に突き進み、欧米の介入を受け、日本は植民地化されていたかもしれない。
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2009.02.26
フォーサイスの作品は高校生の頃から大好きで、そのほとんど全てを読んでいた。ところが1冊だけ入手できなかった作品があった。それがこの「ハイディング・プレイス」。先日偶然ブックオフで美本を発見し、驚喜して購入した。
この作品誕生の経緯が少し変わっていて、日本のフジテレビが映像化を目的に、フォーサイスに発注したものだった。作品の舞台は東西冷戦期の日本。ソ連の国家機密を握る科学者が軽飛行機で極東シベリアから単身北海道に逃亡。アメリカへの亡命を希望して日本政府の保護下に入る。早期の科学者の引き渡しを望むアメリカ政府とCIA。アメリカとの駆け引きに使おうと企てる日本の総理大臣。科学者を抹殺しようとするKGB。総理大臣の特命を受けたSP隊長が、この科学者を隠してしまう。朝鮮系のKGB工作員が、SP隊長の家族を襲う。
結局この作品は映像化されず、フジテレビ出版から日本語版が出されたのみだ。本国英国でも英語版は出版されていない。
「ジャッカルの日」や「オデッサ・ファイル」、「悪魔の選択」などの傑作のような、奇想天外なオチがないため、駄作だとの評もあるが、日本を舞台に書いてくれただけでも、フォーサイス好きには嬉しい作品だ。
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2009.01.22
読み出しは軽いテンポだった。四コマ漫画のような平和な日常生活の断片で始まる。主人公の江分利満(エブリ・マン)は、平凡なるちょいダメおやじ。妻子と社宅に住み、遅刻魔で酒乱。頭は悪くないが不器用で運が悪い。愛すべきキャラである。
ところが読む進むうちに彼の背負っているものが見えてくる。家族の問題や苦い過去など、哀しみと切なさをひっそりと抱えている。
読後、Wikipediaで著者の略歴を読むと、江分利満はまさに山口瞳なのだ。
「格好付けるのが、一番格好悪い」という名言があるように、江分利満の格好悪さは、格好いい。
著者はこう書いている。
才能のある人間が生きるのはなんでもないことなんだよ。宮本武蔵なんて、ちっとも偉くないよ、アイツは強かったんだから。ほんとに「えらい」のは一所懸命生きているヤツだよ、江分利みたいなヤツだよ。匹夫・匹婦・豚児だよ。
巻末で山本周五郎が絶賛している。解説と言うよりまるでファンレターだ。山本周五郎も格好いいよね。あれだけの大作家なのに、「読むのも書くのも道楽」と自称している。
「居酒屋兆治」も読みたくなってきた。
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2009.01.16
副題「スターで選ぶDVD100本」のとおり、監督別ではなく、役者ごとに著者のオススメ邦画がたっぷり紹介されている。流石、作家業の前は映画評論で食っていただけあって、なるほど鋭いと唸る本だった。
特に面白く感心したのは、
大女優の成長と成熟の段階は、
「かわいい」→「美しい」→「凄い」→「怖い」
という変化の過程を辿る。
と定義し、黒澤の「
蜘蛛巣城」で
山田五十鈴は「怖い」に到達したと書き、加えて、
現在では岩下志麻と浅丘ルリ子が「怖い」に近付いている
には笑えた。
また監督と女優との仲については、もう少し掘り下げて欲しかった。
小津安二郎と
原節子、
溝口健二と
田中絹代など、当時は俗な芸能ネタでも、今となっては映画史研究の新たな切り口にもなるだろう。
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2008.11.16
向田邦子のエッセイ集「父の詫び状」と、短編小説集「思い出トランプ」を続けて読んだ。
とにかく素晴らしいのだが、面白いのは、エッセイが短編小説のようで、短編小説が単発TVドラマのようなのだ。
周知の通り彼女は、テレビドラマの脚本家として名を挙げ、その後小説家として直木賞を受けている。そのためストーリーの展開がリズミカルで、エンディングの締め方が巧いのだ。これはエッセイにも小説にも共通している。
「思い出トランプ」は家族や夫婦を登場人物に、日常の積み重ねの中のドラマを切り取って描いている。題材に夫や妻の浮気を書いているものが多い。それもドロドロとしておらず、サラリとしているところが、妙にリアルで味がある。
短編小説が巧い作家は手放しで好きだ。芥川しかり、志賀直哉しかり、そして向田邦子しかりだ。
ちなみに最近田中麗奈が舞台で、向田の「思い出トランプ」を演じたと聞いて、?と思った。「思い出トランプ」は短編小説集の本のタイトルであって、小説のタイトルではないからだ。インタビューを読んでみたら、どうも「思い出トランプ」に収録されている「大根の月」の主人公英子を演じたようだ。彼女は好きな女優の一人なので、ちょっと観てみたかった気もする。

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2008.08.11
さすが丸谷才一。とにかく巧い。これだけ作り込んだ小説を書いて、下品にならないのには、ただただ脱帽である。
乱暴に言ってしまえば、この長編は推理小説である。というか、丸谷才一の小説の多くは「謎解き」の仕掛けが組み込まれている。
本作の主人公は女性国文学者。大胆な仮説と論証で、グイグイ我々読者を引きづり込んでいく。
前半での「芭蕉はなぜ東北に行ったのか」には驚いた。ネタバレになるので書かないが、そんな理由を考えたこともなかったし、そんな学説も聞いたことがなかった。これって丸谷才一のオリジナルのアイデアなのか?
後半での源氏物語の幻の帳「輝く日の宮」については、そういう学説を聞いたことがあったので、ビックリには値しなかったが、これを最終章で再現してしまうところが凄い。
当然、謎解きだけではなく、学会やマスコミの内幕やら、男女のことなども巧くストーリーに絡ませて書かれている。
本当に面白い小説なのだが、多少文学の素養がないと楽しめないのが辛い。前半の鏡花や芭蕉はクリアしたものの、後半の紫式部と藤原道長のあたりはハードルが高かった。
それにしても丸谷才一は女を書くのが上手いなぁ。
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2008.07.31
今朝の日経新聞に載っていたコラムである。
著者は早稲田の先生で、専門は現代ドイツ文学なのだそうだが、このコラムはその片鱗がなく、大いに笑える。こういう文章は大好きだ。
コラムの内容は松永先生の空想の話。先生は任侠ドラマの中の「村の女その1・おまつ」。主人公である流れ者の素浪人との絡みのシーンもない地味な脇役。家は貧しい農家で、鶏を飼い、畑で野菜を育てている。たまに小料理屋を手伝いに行く程度で、貧しいながらも平和な日々を過ごす。
先生ここでフト気付く。これでは任侠ドラマにならないと。
ということで、おまつは事件に巻き込まれる。偶然に密売人の計画を知り命を狙われる。おまつは村を離れ、年老いた武道家に弟子入りしてキル・ビル風の必殺の武術を習得する。(先生、この展開はちょっと、、、)
おまつが村に戻ってみると、村はすっかり近代化され様変わり。密売人たちも既に捕らえられてもういない。
結局アクション場面が思いつかないと悟った先生は、別の設定でやり直し。
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2008.07.03
村上春樹の「風の歌を聴け」を読んでいる。毎晩ベッドで30分ずつほど読んでいる。
薄っぺらい文庫本なので、その気になれば一晩で読みきれるはずなのだが、読み始めると村上春樹の世界に迷い込んでしまって、なかなか先に進まない。
その感覚はまるで静かな美術館で点描画に向かい合っているときの気分に似ている。絵の前で長い時間足を止めていたつもりが、実際には数十秒しか経っていない。
そしてまた、この小説を読んでいると、大学生の夏休みという、人生の中でも何か不思議な時間にタイムスリップする。それはぼんやりとしたリアリティーのない世界だ。
高校のときの友人が夏の夕暮れに訪ねてきた。
奴は浪人生だったから、あのとき自分は大学1年だった。
「浪人の癖に、俺より日焼けしているな」と奴に言ったのを憶えている。
短パン姿の奴は、冷えた麦茶をガブガブ飲んだ。
蜩が鳴いていた。
訳もなくそんなことが思い出されたが、それが本当の自分の記憶なのか、それともどこかで読んだ小説の一場面なのか、自信が持てなくなった。
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2008.06.26
星新一が書いたノンフィクションです。SFでも、ショート・ショートでもありません。自分の父親である星一(ほし・はじめ)の前半生を書いた評伝です。
明治6年に福島県の農村に生まれ、苦労して東京の学校に進み、更に努力して資金を貯めアメリカに渡る。アメリカでもその日の暮らしに困るほどの生活から、知恵と努力で名門コロンビア大学に入学し、小さな出版社の経営も始める。その中で、野口英世、新渡戸稲造、後藤新平、伊藤博文等と知り合う。10年以上のアメリカ生活に終止符を打ち、日本に帰るところでこの本は終わります。
つまり星一の青春と明治男のフロンティア・スピリットの本です。
あの星新一が書いているので、読み味は無色無臭ですが、内容は大河小説級の歯ごたえがあります。
この本は是非、中学生や高校生のみなさんに読んでもらいたい本です。きっと何かを感じ取れると思います。
尚、その後の星一の後半生は、同じく星新一が「人民は弱し 官吏は強し」に書いています。これも波乱万丈です。
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2008.05.16
織田作之助の短編小説「昨日・今日・明日」を青空文庫で読んだ。オダサクといえば「夫婦善哉」だが、そればかりではない。短編も非常に良いのだ。
「昨日・今日・明日」は二人組みの復員兵の話である。軍隊で虐められ、上官に反抗しようと思った矢先に敗戦を迎え、焼け野原の大阪に立ち返る。
大学出の白崎は復員列車で出逢った女への再会を夢見、落語家だった赤井は行方不明の妻子を探す。
赤井が途方に暮れ、地下鉄構内で毛布に包まると、戦災孤児の少女が声をかける。
「おっちゃん、うちも中イ入れて」
「よっしゃ、はいりイ。寒いのンか。さア、はいりイ」
「おおけに、ああ、温いわ。――おっちゃん、うちおなかペコペコや」
「おっさんもペコペコや。パン食べよか」
「おっちゃん、パン持ったはるのン?」
「うん。持ってるぜ」
「ああ、ほんまに。うちに一口だけ噛らせて」
「一口だけ言わんと、ぎょうさん食べ!」
―― このテンポのよい会話がオダサクの真骨頂だ。
赤井は絶望することなく、少女を連れ駅前で靴磨きを始める。
そんなある日、赤井と白崎はラジオから流れる歌声を耳にする。復員列車で出逢った女の声である。二人は放送局に駆けつける。
それからのクライマックスの数ページは、感動の涙である。
誰かこの傑作を映画化してください。短編映画でいいです。1時間ドラマでも構いません。
赤井役は小林薫(ナニワ金融道の雰囲気で)、白崎役はオダギリジョー(パッチギ!の雰囲気で)、復員列車の女役には常盤貴子(関西弁で)を希望します。
どうです? 井筒さん。撮ってみませんか?
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2008.04.22
既に何度か書きましたが、普段パソコンで青空文庫の本を読むときには、azurというソフトを使っています。Windows版とMac版があり、外部のデバイスに書き出す機能もあって非常に満足しているのですが、有料で2,100円します。
もしこれをお読みの皆さんが、Windowsユーザーで、外部デバイスへの書き出し機能が不要であるならば、お勧めのフリーウエアがあります。
smoopyというソフトで、テキスト文書を縦書きに表示することができ、青空文庫を読むのに適しています。
まず文書を読み始めるには、二つの方法があります。一つは青空文庫からテキストファイルを予めパソコンにダウンロードしておき、それを開く方法。もう一つの方法は、「URLを開く」という機能から、青空文庫が公開しているHTML版の文書のURLを入力する方法です。インターネットに常時接続している環境であれば、こちらの方が便利です。
いずれかの方法で文書を読み込めば、すぐに縦書きの表示で読み始めることができます。但し初期設定の文字は小さく、長時間パソコンのモニタで読むのには適しません。
そこで「ページ設定」メニューの「スタイル設定」で、自分の読みやすい表示に調整しましょう。
まず大切なのは文字の大きさです。お勧めは24ポイントです。このぐらい大きいと目も疲れません。
次にフォントの種類です。これは好みの問題なので、ブロック体や明朝体でも構わないのですが、楷書体が一番見た目に美しいと思います。
それから行間も8ポイント程度にしておくと、全体にゆとりのあるレイアウトになり、読み疲れしません。
他にも背景の色を、真っ白ではなく、薄い肌色などにしておくと、見た目が落ち着きます。
以上、このsmoopyと青空文庫を活用すれば、全て無料で快適なパソコン読書が楽しめます。是非お試しを。
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2008.04.21
田山花袋の長編小説「田舎教師」は、全編を通して淡白で力んだところがなく、田舎暮らしの寂しさを感じさせる。主人公も大人しく、自我を貫くことをしない。心に思う女もあるが、誰にも打ち明ける事をしない。文学への憧れもあるが、それに人生を賭けることもしない。
「田舎教師」を評価しない人たちに言わせれば、「主人公に積極的な行動がなく、ただ運命を受け入れているに過ぎない」という指摘がある。その指摘は全くその通りで、主人公は、何となく生活のために教師になり、世に出て行く友人たちを尻目に、田舎で漠然と歳月を重ね、最後は悲しい結末で終わる。
しかし、これこそに現実的な説得力があるのであり、読む者が自分の境遇を重ね合わせる魔力を持っているのではなかろうか。もし主人公が艱難困苦を乗り越え、痛快にも立身出世したのならば、誰もこの小説に魅力を感じないだろう。運命に身を任せることしかできない人間の弱さこそ、目を逸らす事のできない現実なのだ。
この我らが心弱き主人公も、流石に途中平凡な暮らしに魔が差し、女郎に惚れて金を注ぎ込むことをする。借金が嵩み、教師の体面から女郎屋通いが世間に知られることを恐れる。ところがその女郎が身請けされ姿を消すと、暮らしを立て直そうと思い直し、元の慎ましさを取り戻すのだ。その頃、師範学校に通う元教え子の女生徒が、主人公に淡い恋心を寄せる。ここで小説が終われば、幸せな三流青春小説で終わったのだが、花袋は筆を止めなかった。
日露戦争開戦の頃から、主人公は病魔に伏せるようになる。貧しい暮らしの中で、季節と共に衰弱は進み、日露戦勝に沸く田舎町の陰で、主人公は若い命を閉じる。花袋はせめてもの慰めのように、主人公を慕った元教え子が数年後にその田舎町の小学校教師になったことを書き加えている。そして最後に、舞台となった田舎町に鉄道が開通するところで小説は終わる。
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2008.03.28
小金井喜美子が書いた「鷗外の思い出」という随筆集を読んだ。流石文豪鷗外の妹だけあって、文章が上手い。技術的に上手いというのではなく、スッキリと読みやすく、味わいがある。
随筆集の前半では、幼い妹から見た九歳上の青年鷗外の姿が、敬愛の情を持って描かれている。庭に居たら兄に声をかけられ散歩に出た話や、初めて近所の寄席に連れて行ってもらった話、浅草で写真を撮ってもらった話など、ほのぼのとしている。
後半に進むにつれて、洋行帰りの舞姫事件や、所帯を持った後の家庭不和などが語られ、家庭人鷗外の苦渋が読み取れる。
中でも興味深かったのは、「兄の手紙」と題された一編に載せられた、地方勤務の鷗外から、主婦となった喜美子への手紙である。その手紙で鷗外は妹を「おきみさん」と呼びかけ、愛情の籠もった処世訓を送っている。意訳すると、、、
―――家事に追われる不満があるならば、少しでも哲学や儒教や仏教を学ぶと良い。学んでそれに疑いを持つのも良い。疑うことでその疑いが解けることもある。そして道が分かれば、普段の暮らしが如何に大切であるかが分かり、楽しいものになるだろう。
理路整然とアドバイスしているところが鷗外らしく、面白い。
読み終えて、ふと思った。もしやこの随筆集は喜美子が口述したものを、誰かが筆記校正したものではないかと。「です、ます」調の語り言葉で、無駄がなくリズムが良い。どう読んでも素人の文章には思えないのだ。この随筆集は昭和三十年、喜美子が八十四歳のときに出版されている。その頃、喜美子の孫にあたる青年が同人誌に小説を発表したりしている。もしやその青年による文章なのではないか。全く馬鹿げた空想ではあるが、これにはそう考えたくなる理由がある。その青年とは星新一であるからだ。
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2008.03.20
岡本綺堂の「半七捕物帳」を全て読み終えた。短編68作に、番外の長編1作を加えた計69作である。
明治時代の若い新聞記者が、岡っ引きだった半七老人と親しくなり、昔話を聞くという設定になっている。老人が語る舞台は黒船以降の江戸市中。幕末の英雄たちは登場せず、あくまでも登場人物は庶民やせいぜい下級武士。21世紀の今読んでも、古さを感じさせない洗練された推理小説なのである。その中で江戸の風情が見事に描かれ、目を瞑れば総天然色のその情景が目に浮かぶ。
短編はどれも20分もあれば読めるもので、実にテンポが良い。起承転結も分かりやすく、結末が心憎い。クライマックスになると、半七老人は話を止め、「もうお分かりでしょう」と、新聞記者に種明かしをする。これがまるで映画のラストシーンのように、何ともいえない薫り高い余韻を残しているのだ。
どの作品から読んでも楽しめるが、できれば半七登場の「お文の魂」から順番に少しずつでも読むことを薦める。きっと気がつくと全話読み通すことになるだろう。
今回のこの読書は、全話青空文庫に無料公開されているものを、azurという縦書き表示のブラウザで読んだ。紙の本ではないのだと知ったら、半七老人はどんな顔をするだろう。
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2008.03.11
4部構成、全65章の大著である。石原莞爾の評伝なのであるが、石原の登場率が低く、時代背景への言及が多い。そのためか読了後、石原莞爾とは結局何者だったのか良く分からない。
貧しい家庭に生まれながら、陸軍幼年学校から、士官学校、陸軍大学、ドイツ留学とエリート・コースを歩んだ天才。根は悪い奴ではないのだが、頭が良すぎて周りを馬鹿にしたところがあり、世の中に馴染めず孤立していた。戦略家であるくせに、理想主義者であり、横暴であるのに、心やさしい面もあった。
そんな石原莞爾が主犯となった満州事変についても、この本では核心に迫っていない。それどころか、まるで石原莞爾が脇役であるかのごとく淡々と書かれている。
満州の地に理想郷を夢見た石原莞爾が、なぜ満州事変という謀略を行ったのかに迫っていないのだ。石原ほどの見通しの利く男が、理想のためならば手段を選ばないなどという、幼稚な理由で画策したとはどうしても思えない。その結果生まれた満州国は、石原の夢見た理想とはほど遠い、インチキ国家になってしまったし、日本社会に謀略すら正当化されるような思想風土を植えつけてしまった。
確かに石原が考えた理想国家は素晴らしい。日本をはじめとするアジア諸国が、欧米列強と肩を並べるための方策としては、歴史的偉業かもしれない。今でこそ日本人が人種差別の的になることは少ないが、20世紀初頭には黄禍論が依然根強く、欧米首脳でさえ日本人を劣等人種だと思っていた。そのような世界の雰囲気を十二分に理解していた石原にとって、理想への邁進だけが唯一の救いの道だったのかもしれない。
著者福田和也は石原贔屓で、石原の功罪をバランスよく書いているとは言えない。その代わり、石原の登場しない時代背景を書いた章は、なかなか素晴らしい。
ルーデンドルフを中心に捉えた第1次世界大戦への言及については、興味深いものであるし、日中戦争中の蒋介石の立場も分かりやすく書かれていた。昭和12年7月の盧溝橋事件から12月の南京攻略までに、何度も講和のチャンスを逃したくだりでは、歴史のifを考えずにはいられなかった。この盧溝橋事件当時、石原は参謀本部第1部長として不拡大の方針を持っていたが、その力は及ばず、泥沼の戦争に突き進んでいく結果となった。因果応報である。
石原莞爾の夢は、満州を完全な多民族独立国家にすることだった。日本の支配を排除するためには、日本とも戦争するつもりだったのだろう。その独立戦争の中で、戦死するのが夢だったのではなかろうか。
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2008.02.10
食べ物にまつわる軽いエッセイだろうと読み始めたら、小説家や詩人たち文人の本質を突いた評論となっていたのには感心した。
漱石に始まり三島由紀夫まで37人の食生活を切り口に、彼らの生活習慣や性格、生涯、それらと作品の関係が具体的に書かれており、納得してしまう点が多くあった。
例えば鷗外はナマモノを食べなかった。野菜はもちろん果物も煮て食べた。これはドイツで細菌学を学び、軍医として衛生学の権威であった鷗外らしい逸話だ。
泉鏡花はそれを上回る潔癖性で、大根おろしを煮て食べ、豆腐の腐の字を嫌って豆府と書いた。果ては「チョコレートは蛇の味がする」とまで言い出す始末。この食べ物に対する異常な精神が、あの名調子の華麗なる美文に関連すると考えるのも面白い。
一方で病床六尺の正岡子規は寝たきりで、狂気とも言えるほど意地汚く食い続けた。それは栄養補給の域を大きく超えて、食うことと書くことだけが、最後に残された生きている証だった。
意外な健啖家として宮沢賢治や太宰治についても書かれている。賢治に至っては酒タバコも嗜み、高級料亭へも通った。何しろ玄米とは言え、一日に4合も食べていたのだから。
また更に、著者嵐山光三郎が編集者として実際に接した、檀一雄や池波正太郎、三島由紀夫などの話もリアルで興味深い。
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2008.01.21
ノンフィクションだと思って読み始めたら、一人称で語る主人公が著者ではなく、実在しない固有名詞も現れ出したので、何だフィクションかと気軽に読み進めた。ところがあまりの謎解きの面白さに、読むことを中断できなくなり、結局朝に読み始め、晩に読み終えてしまった。こんな読書は久しぶりだ。
ネタバレになるので内容は詳しく書けないが、第2次大戦中の日本の諜報活動を、フリーライターの主人公が謎解きの旅をするのである。とにかく序章を読んだだけで、これは凄いと思った。
そして読み終わって、少し調べてみたら、ことごとく実在したのだ。キーとなる登場人物も、謎の諜報機関も。フィクションなのか、ノンフィクションなのか、分からなくなった。
フォーサイスのオデッサ・ファイルに匹敵する傑作だ。
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2007.11.25
組織論、広く言えば社会学の本。「ヒトデはクモよりなぜ強い」という気色悪いタイトルと装丁で日本語訳も出ているようだが、原書の方はご覧の通りスッキリとしている。
内容は中央集権(centralized)と分権(decentralized)の優劣を論じるという古典的なネタだが、例え話が現代的で、面白く読んだ。
タイトルの通り、中央集権的な組織をスパイダー(クモ)型、それに対して分権化されたネットワーク的な組織をスターフィッシュ(ヒトデ)型として、説明されている。クモは頭をもぎ取れば死んでしまうが、ヒトデはそもそも頭がなくて、その足をもぎ取っても死なない。それどころか、真っ二つになっても蘇生し、二匹になるそうだ。
つまりCEOがいて本社が指揮命令するようなピラミッド組織の会社はスパイダー型で、自発的に発生したNGOやボランティアの集まりは、リーダーもトップダウンの指示もないスターフィッシュ型の組織だと言っている。ここまでは納得。
そこからは我田引水的にスターフィッシュ型の仕組みや優位性が書き並べられている。ちょっと眉唾かなとも思いながら読み続けると、スターフィッシュ型にも無秩序に陥るのリスクがあると言い出し、結局はスターフィッシュ型とスパイダー型のハイブリットが良いという着地点に落ち着く。その事例として、最後はドラッカーや日本的経営の見本としてトヨタが出て来て、オイオイそういうオチかよとツッコミたくなる。
大筋では目新しい論理展開はないが、いろいろな事例がなかなか興味深かった。
本書のサイトでは、序章と第1章が読める。
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2007.11.12
「半七捕物帳」で有名な岡本綺堂によるエッセイ集である。
明治5年生まれの麹町育ちとあって、幼少時の東京の描写は、江戸の名残がたっぷりで興味深い。当たり前だが、明治維新、文明開化で、庶民の生活が一変したわけではなかった。人力車や馬車が走り回るようになっても、庶民の暮らしは江戸の頃と同じ。時間はゆったりと流れ、あくせく働かず、芝居を観たり、湯屋に通ったりしている。
「ゆず湯」という話は、エッセイというより短編小説といえるほどの完成度で、感嘆に値する。
明治の東京の風物エッセイ以外にも、日露戦争での従軍記者としての思い出話なども収録されている。雇った中国人苦力の実直さに接し、侮蔑していた自分を恥じる話など、戦場の血生臭い話はなく、異国の人情風物が水彩画のように書き綴られている。
このエッセイ集は全編かなりのボリュームが収録されており、毎日少しずつ読んでいる。と言っても紙の本ではなく、青空文庫に公開されているデータを、azurという読書用閲覧ソフトで縦書き表示にして、パソコンのモニタで読んでいる。縦書き表示にして大きめの好みのフォントで読むと、紙の本同様に全くストレスなく読める。
またazurは、見開いているページのイメージをjpegファイルに出力でき、液晶パネルのあるデバイスであれば、携帯電話でも、デジカメでも、PSPなどのゲーム機でも、読書することが出来る。しばらく前からPalm LifeDriveで読んだりもしているが、データ転送や操作性に多少の不満があり、最近はあまり活用していない。
今のところ読書デバイスとして決定版がないため、電子書籍が紙の本を駆逐する日は遠いように思える。
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2007.11.11
太平洋戦争の海戦記。
アメリカ側をハルゼー、日本側を栗田健男の両提督を軸に、レイテ沖海戦が詳しく書かれている。日米双方とも、いくつものミスを犯した凡戦であったことが分かる。と同時に、過酷な戦場で正しい判断を下すことの難しさも充分理解できた。
両軍にとって後味の悪いこの海戦から学ぶことは多い。結果的には日本艦隊の大敗ではあったが、ハルゼーにしてみれば日本艦隊を壊滅できず取り逃がしたことになった。
ハルゼーは戦後、原爆投下を無慈悲で戦争終結に不必要であったと言っている。日本人を嫌っていたハルゼーのこの発言の裏には、もしレイテ沖で日本艦隊を壊滅できていればという気持ちが残っていたのではないだろうか。
もしレイテ沖で日本艦隊を壊滅できていれば、米艦艇は一気に日本本土に近付くことができた。それこそ相模湾から艦砲射撃で東京や横浜の軍施設を狙えた。これが出来ていれば、B29による無差別爆撃の必要もなく、東京大空襲も原爆投下もなかったかもしれない。
その代わり日本が徹底抗戦していたら、九十九里か湘南が第2のノルマンディーなっていたかもしれない。
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2007.11.06
矢作の「気分はもう戦争」と言えば、大友克洋との漫画だと決め付けてはいけない。ここに書くのは、なんと全く別モノの新作小説なのだ。それも自身のオフィシャルサイトに書けた分だけ掲載している。今日現在第2章まで読める。つまり無料で。
第1章だけ読むと、全く意味不明なのだ。なぜならこの章は、ストーリー全体の後日談になっている。つまり最終章を冒頭に持ってきてしまっているのだ。
舞台は西鉄福岡駅ガード下の屋台。登場人物は大手新聞社の社会部記者男女数名。酒を酌み交わし、「自衛隊初の戦争」を振り返り、語り合う。我々読者はこのシーンで、パラレル・ワールドに来てしまったことに気付く。風景描写は在り来たりのガード下の屋台なのだが、語られている内容は全く理解できない世界情勢。
そして第2章。本当のストーリーが始まる。中国海軍の実験機が自衛隊の警戒管制を易々と突破し、福岡空港に強行着陸してしまう。その実験機は米軍さえも持っていない超音速ステレス機だったのだ。滑走路に降り立った中国人テストパイロットは奇妙な日本語を喋り、それを迎えた日本人との対面シーンは、まるで火星人との遭遇のようで可笑しい。このパイロットの最初の要求は、スターバックスのキャラメルマキアート。流石矢作!!!
場面は変わって首相官邸。閣僚たちは危機管理体制ゼロのドタバタ劇を演じる。
いやぁ、面白いぞ、これは。続きが読みたい!!! 頼むから未完で終わらせないで欲しい。少なくとも、このサイトが消滅しないうちに、データをテキストで保存しておいた方が賢明かもしれない。
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2007.11.05
中高生向けの新書本なのだが、全く侮れない名著である。非常に明解な論理展開で、読んでいて気分が晴れやかにさえなる。
ヨーロッパ思想は、「ギリシアの思想」と「ヘブライの信仰」という二つの礎石の上に立っているとしている。「ギリシアの思想」とは、ギリシア神話に始まり、ギリシア悲劇や、ソクラテス、プラトン、アリストテレスへと続く哲学である。一方「ヘブライの信仰」とは、ユダヤ教として生まれ、世界に広がったキリスト教のことである。
読み終えて、こんなことを考えた。
21世紀の現代において、人類はいまだに民族、宗教、文化、慣習、言語の相違に苦しんでいる。前世紀の共産主義国家自壊により、単一的な全体主義では秩序を保てないことをようやく悟った。残された道は、それぞれの違いを認め尊重し合う多元性しかない。ところがこの多元性には「寛容」が不可欠なのだ。更に言えば、イエスが説いた「愛」が必要なのかもしれない。
「愛とは自分の好きな人に親切にすることではない」、「かかわりあいになったら厄介を背負いこむかもしれないと思われるような人に、近づいていって一緒に苦しみを背負うこと、それが愛である」と著者はこの本で解説している。
テレビをつけると、トルコでのクルド紛争を報じるニュースに続いて、ドイツ・ケルン市当局がイスラム教徒の寺院建設に難色を示していると報じられていた。ドイツには50万人以上のクルド人が住んでいると言われる。トルコは戦略的に重要なNATO加盟国であるのに、EUへの加盟は難航している。
欧州にとってイエスの教えが、2千年後の今も尚トルコ(異教徒)との関係に有効であるとすれば、それは悲劇なのだろうか、喜劇なのだろうか。
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2007.10.11
ずいぶん前に「巨象も踊る」というタイトルで邦訳が出版されていたが、その頃読むチャンスを逃し、今になって原書を読んでいる。
1993年から2002年までIBMのCEOを務めたルイス・ガースナー自身による著作。冒頭でゴースト・ライターは使っていないと明言している。
IBM建て直しの経験談を主軸に、経営論を展開しており、CEOに選ばれるまでの話は、ドラマチックで面白かった。彼の経営手法は特に目新しく驚くようなものではないのだが、当たり前の正攻法だったからこそ、あれだけの大企業を救えたのかもしれない。
時代遅れのメインフレームに見切りをつけ、e-Businessという言葉も世間に浸透させた。コンピュータの製造販売から、システムインテグレータ事業やビジネス・コンサルタント事業に重心を移したのもガースナーの功績だ。
とにかく読み易い本だ。良いビジネスマンが書いた文章は簡潔で良い。つまり人に考えを伝える技術が優れているのだ。自分の考えが多くの人に伝わって、それが共有されれば、組織は自ずと動き出すのだろう。
普段英語で仕事をしていて、うまく伝わっていないなと歯がゆいことがある。ここ数日、夜ベッドの中でこの本を読んでいると、ああこのセンテンス使えるな、などと少し気が晴れる。
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2007.10.01
川端康成と大宅壮一の前半生の評伝なのだが、その青春自体がまるで小説のように面白かった。
幼くして両親を亡くし、唯一の血縁であった祖父をも看病の後に亡くした15歳の川端。その頃1歳年下の大宅少年は傾いた家業(醤油の醸造と小売り)を一身に背負っていた。この不幸と苦労の二人にとってただ一つの救いは雑誌への投稿だった。同じ大阪の茨木中学に通いながら、二人が出会ったのは共に東京帝国大学の学生のときだった。このシーンはこの本のずっと後半。
ペンでは食っていけない川端は菊池寛に借金を請い、同じ頃大宅は芥川龍之介の明晰な頭脳に驚愕する。
この本は、川端と大宅の暮らしが安定し、隣同士に住み始めたところで終わっている。これから人生の本番が始まるというところで、彼らの青春を終わらせているところが巧い。
猪瀬直樹は「ミカドの肖像」以来、いくつもの素晴らしい本を書いているのに、テレビに出たり、道路公団民営化に取り組んだり、東京都の副知事になったりと、文筆業に専念しておらず残念至極だ。世のため人のために、もっと本を書いて欲しい。
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2007.09.25
「ききみみ名作劇場」というポッドキャスティングを毎回ダウンロードして聴いている。20分程度の短編小説を俳優や女優が朗読しているものだ。先日聴いた菊池寛の「恩讐の彼方に」は前後編に分かれ、両方で併せて1時間程度の長いものだった。朗読は横内正。
菊池寛の本は今まで買って読んだこともなかったのだが、この「恩讐の彼方に」は、なぜかストーリーを知っていた。映画やドラマで観た記憶もないし、子供の頃母から読み聞かされた記憶もない。学校の教科書にも載っていなかったはずだし、どこでどうやってこの話を知ったのか自分でも全く見当がつかない。
先週末にこの朗読をiPodで聴きながら、ブリュセルの坂道を散歩した。我が家からブラブラと坂道を登ったり下ったり歩くと、ブリュッセル中心部の繁華街や観光地にたどり着く。
歩きながら、この小説を映像化するならば、主人公には誰をキャスティングしようかなどと空想を楽しんだ。やっぱり渡辺謙かな。トンネルのシーンはセットじゃなくて、オールロケで撮りたいななどと。
結末は知っていたのに、ラストシーンでは胸が熱くなって、歩きながら泣きそうになった。
王宮の丘から最後の坂道を下れば、もうグランプラスだった。
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2007.08.21
森鷗外の小説「青年」には、作中の主人公から見た視点で、作者自身が描かれている箇所がある。
主人公である小説家志望の青年は、漱石の「三四郎」のように上京して、明治末期の東京の街を歩き回る。ちなみにこの主人公の姓名は小泉純一といい、某国の元首相に似ているが、これは当然パロディーではない。小説の方が本家で、元首相の方がパクったのかもしれない。
この小説の第一章で、主人公が歩き回る様子は、実に生き生きと描かれており、もし徘徊小説というジャンルがあるのならば、その筆頭にあげても良い。
その小泉純一が散歩の途中、
「ふいと左側の籠塀のある家を見ると、毛利某という門札が目に附く。純一は、おや、これが鴎村の家だなと思って、一寸立って駒寄の中を覗いて見た」
「毛利鴎村」とは森鷗外のことである。
この場面で作者鷗外は、主人公の持つ鴎村の印象をこう列記している。
・干からびた老人の癖に、みずみずしい青年の中にはいってまごついている人
・愚痴と厭味とを言っている人
・竿と紐尺とを持って測地師が土地を測るような小説や脚本を書いている人
今で言う自虐ネタなのかもしれない。
結局純一は覗き込んだだけで恐れをなして門前を立ち去っている。
次に第六章では、ある講演会に集まった人たちの会話に毛利鴎村が登場する。まず話題にあがっているのは講演者である「拊石」という人物である。拊石は成功した芸術家で、文芸史上意義のある足跡を残し、最近教員を辞めて文筆活動に専念しているらしい。そう、「拊石」とは言わずもがな夏目漱石である。その拊石の噂話に続いて、いまだに役人をしている鴎村の話題に移る。そこで主人公純一は独白する。
「拊石の物などは、多少興味を持って読んだことがあるが、鴎村の物では、アンデルセンの飜訳だけを見て、こんなつまらない作を、よくも暇潰しに訳したものだと思ったきり、この人に対して何の興味をも持っていない」
またしてもある意味、的を射た辛らつな皮肉を書いている。確かに血気盛んな若者にとって、鷗外の作品は退屈なものが多い。
そして第七章では文豪「平田拊石」が登場して講演をする。文豪森鷗外が文豪夏目漱石を作中の登場人物として描写する興味深い場面である。
兎角鷗外は漱石に比べ堅苦しいイメージが持たれているが、以上のようにまるで「三四郎」のパロディーのようなものを書き、その中で自分自身に随分と皮肉を書いている。久しぶりに読んでみて、その場面ではクスクスと笑ってしまった。あの鷗外の真面目な顔を思い出して。
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2007.07.16
5月から住み始めたアパートの部屋には、書斎がない。そのためフランクフルトから持ってきた書籍類が、未だに段ボール箱に入ったまま、部屋の隅に積まれている。
子供の頃には、本が増えて家が図書館のようになっていくことに憧れを持っていたが、最近は流石にその量が洒落にならないので、考えを改めるようになっている。
日本の両親の家には部屋が余っているので、その一室を書庫代わりに壁一面の本棚に蔵書を詰め込んでいる。2年前に極僅かな愛読書だけ数箱を持ってドイツにやってきたのだが、生憎(?)書斎と充分な蔵書スペースを得てしまったため、大判書籍や英文書籍を中心に急速に増えてしまった。
ところが今春、ここブリュッセルに引っ越した際、利便性優先で日本のマンション風のアパートに入居してしまったため、部屋数が減り書斎も失ってしまった次第だ。
それこそ何かの本で読んだのだが、一昔前のイスラムの偉い学者は、蔵書を全く持たずに、まるで放浪僧のように、着の身着のままで世界を旅したそうだ。その学者たちに言わせると、読んだ本は全て記憶しており、むしろ蔵書はその記憶の妨げになるらしい。全く格好イイ台詞だ。そう言えば大の読書家だったジャイアント馬場も本を読み終えると、未練もなくその場でゴミ箱に捨てていたと聞いたことがある。
ところが元来の貧乏性で、書籍はおろか、雑誌類も容易に捨てられないため、蔵書は増えるばかり。その上悪いことに、野暮用が増え読書時間は減る一方なのに、好奇心は益々旺盛で、購入量は歯止めがない。つまり未読の山が高くなるばかりなのだ。全く始末が悪い。
あぁ、こう書きながらも、チャーチルの「第2次世界大戦」全巻をamazonに発注してしまった。こんな大著、我ながらいつ読むのかと呆れる。
本当に必要なのは書斎なのではなく、読書時間なのだ。
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2007.02.19
フランクフルトには日本語書店が一軒だけある。雑誌や文庫本が日本の二倍近い値段で売られている。品揃えも少ないので普段利用することはないのだが、文藝春秋最新号に石原慎太郎と村上龍と綿矢りさの鼎談が載ったので買い求めた。鼎談は当たり障りのない世間話程度で、文学論などには全く踏み込んでいず期待外れ。
同号に芥川賞受賞作の「ひとり日和」が全文載っていたので、折角だからと読んでみた。何だかぼんやりとした虚無感に満ちた小説だった。
「まるで綿矢の『インストール』の続編だな」と、読み始めてすぐに思ってしまったためか、読みながら2時間ドラマのように頭の中で映像化してしまった。登場人物のキャスティングは、主人公の20歳のフリーターに上戸彩、同居することになった遠縁の老婆には森光子、主人公を残して中国に行ってしまったその母親には原田美枝子。こう配役してみると結構読めるものになった。
ストーリーは単純で、主人公が老婆との一年間の同居生活の中で、失恋をしたり、転職したりしながら、淡々と時間が過ぎていく。
芥川賞選考委員でもある石原慎太郎と村上龍は揃って褒めているが、むしろ同委員の山田詠美が評した通り、「大人の域に一歩踏み出す手前のエアポケットのような日々が淡々と描かれ……いや淡々とし過ぎて、思わず縁側でお茶を飲みながら、そのまま寝てしまいそう……日常に疲れた殿方にお勧め。私には、いささか退屈」に全く同感。
出来の悪い小説ではないが、物足りなさが残る。
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2007.02.16
軍鶏と書いて「しゃも」と読む。つまりニワトリ同士を喧嘩させる、あの鶏。その軍鶏のモモ肉、ムネ肉、皮、レバーと、ネギ、シラタキ、豆腐を入れて鍋にする。「軍鶏鍋」だ。あぁ、食べたい。
あさりと小松菜を甘辛く煮て、ご飯にぶっかけたのが「深川飯」。あぁ、これも食べたい。
浜名湖だけが鰻じゃない。霞ヶ浦、利根川、九州有明だって天然鰻の名産地だ。春に生まれた鰻はエビを餌にしているので、あっさり軽い味。それを割いて、串に刺し、素焼きにして、蒸して、たれをつける。「蒲焼き」だ。ドイツの白ワインに合うんだろうなぁ。
海外にしばらく暮らしていると、無性に日本の味が恋しくなる。海外暮らしの日本人が数人集まれば、必ず食べ物の話題で盛り上がる。日本に一時帰国する時、「食べたいものリスト」を準備する人も少なくないくらいだ。
そんなセンチメンタルな傷口に、塩を塗り込むようなのが、この本だ。雑誌編集者で作家の森まゆみが、東京の老舗を食べ歩いている。
この本の憎らしいのは、ただ食べるだけでなく、その店の界隈の雰囲気も、ちゃんと描写されているところだ。そして店の人に、その店の歴史や懐かしい話をいろいろと聴いている。つまり散歩が三分の一、歴史談話が三分の一、そして食べるが三分の一の割合で、この本はできている。さらに新書版のくせに、カラー写真や地図などの図版もたっぷり載っている。
あぁ、なんて残酷で無慈悲な本なんだ。
ふるさとは遠くにありて片思い
鶏鍋ざるそば穴子飯、、、
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2007.02.06
昨日書いた川端康成の「源氏物語」のことが気になって、いろいろと調べてみたら、川端の編集者であった伊吹和子が随筆にそのことを書いていた。その随筆が「川端康成 瞳の伝説」。
そもそも伊吹和子は、高血圧症でペンが持てなくなった谷崎潤一郎の口述筆記者として現代語訳「源氏物語」に係わっていた。その後中央公論社に入り、編集者として川端を担当していたのだ。
この随筆によると、川端が伊吹に気を許すようになった頃、伊吹の出自や経歴を尋ね、谷崎源氏の口述筆記をしていたことに特に興味を持ったそうだ。
そしてノーベル賞を受賞した後の頃(瀬戸内寂聴の証言に近い)、川端から「谷崎さんの源氏の訳は、どのくらいの時間がかかりましたか」と尋ねられた。「新譯」は10年前後、仮名遣いを直すことが中心だった「新々訳」は2年程度だったと答えると、更に「新譯」の執筆手順を詳しく聞いてきた。そして、
「実は僕も、源氏を訳してみようかと思ってるんですけど」とぽつんと言った。
「谷崎さんのように学者のブレーンを頼まなくても、あなたが手伝ってくれれば、まあ五年で完結するでしょう。どうですか」
伊吹は胸が高鳴り、有頂天になってしまった。
伊吹は会社に駆け戻り、すぐに契約書を交わすことを上司に訴えたが、ノーベル賞のお祭り気分で冗談を言われたのだと相手にされず終わってしまった。
つまり伊吹は、瀬戸内寂聴が京都で見た原稿を見ていない。
本当に川端康成は、「源氏物語」の現代語訳に着手していたのだろうか。
鎌倉に住んだ川端が、横須賀線の車中で、木版の源氏を愛読していたことは有名だそうだ。
なおこの随筆は、日本ペンクラブの電子文藝館というサイトで全文読むことが出来る。文豪川端康成の素顔が垣間見えて非常に興味深い随筆だった。
このサイトでは他にも、著作権が消滅していない、志賀直哉や川端康成などの作品もある。
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2007.02.05
職場で日経新聞の欧州版をとっている。昼休みに2月3日(土)の朝刊を読んでいて驚いた。
瀬戸内寂聴が「奇縁まんだら」という連載エッセイに、川端康成が「源氏物語」の現代語訳を手がけていたと書いていたのだ。それも彼女が、京都の都ホテルの川端の部屋で、その原稿を目撃しているのだから、これは紛れもない事実だ。
以下、このエッセイから重要な点を抜粋すると、
部屋に通れといわれて入ったら、ドアから真正面の窓際の机の上に原稿用紙が広げられていて、今、置いた風情で万年筆が乗っている。あまり大きくない机の左側に、数冊の分厚い本が置かれている。すべてが源氏物語の古注釈書であった。
「先生、源氏の訳なさるんですか?」
私が思わずすっ頓狂な声をあげると、
「ええ、まあ、やっぱりやってみようかと思って」
と、ちょっと口元をゆるめられた。
「三人の訳があるから、今更と思ったけれど出版社がきかないんで」
とおっしゃる。
この三人とは、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子のことである。
川端は更にこの三人の源氏を次のように評してもいる。
「与謝野さんのが一番簡潔でいいんじゃないですか。谷崎源氏は訳と言うより、原文そのままの感じがする。円地さんのは、あれは円地さんの小説源氏だね」
知っての通り、川端はこの源氏物語を世に出していない。幻の作品なのだ。川端がそんな仕事をしていたとは、今日まで全く知らなかった。これは大変な歴史的証言だ。
もし川端がそのまま源氏を書き上げていたら、日本人にとって大きな文学的遺産になっていただろうと、悔やまれてならない。
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2006.12.24
すっかり夢中に読んでいる。
戦後間もない頃の怪事件を扱ったドキュメンタリー集。
下山事件、帝銀事件、松川事件と言った聞き覚えのあったものから、もく星号遭難事件、白鳥事件、ラストヴォロフ事件、鹿地亘事件など、初めて知った事件もあった。
中でも下山事件は圧巻で、下手な推理小説などよりはるかに不可解で、欧米のポリティカル・スリラー並みにスリリングだ。
昭和24年7月5日、初代国鉄総裁の下山定則が、その日の朝出勤前に、運転手に命じて不自然な寄り道をし、午前9時半頃、自ら日本橋三越店内に入ったきり行方不明になる。
その晩の上野発松戸行きの最終電車の運転手が、北千住−綾瀬間の東武線との立体交差を過ぎた付近で、前方に礫死体らしきものを発見。綾瀬駅停車時に駅助役に報告し確認させたところ、下山総裁の礫死体であることが判明。
ここからの捜査の話は複雑なので、ここには書ききれないが、最終的に捜査当局は自殺として決着を付ける。ところが松本清張は謀殺だと書いている。それもGHQの何らかの組織による大がかりな計画的な謀殺だと。
下山総裁は事件当時、国鉄労組と大幅な人員削減を巡り、深刻な労使交渉の真っ只中にいた。当時の日本は、乱暴に言えば、これらの労働運動と共産主義運動により、大きく左に傾いていた。米国の世界戦略としては、ソ連や中国の覇権拡大に対する東アジアでの防波堤として、日本が左傾していくことは傍観できなかった。
ところが下山事件後、世論は突然の如く左傾を停めた。
つまり松本清張の推理は、GHQが下山総裁を殺したことで、世論に対し労組による謀殺の疑念を抱かせ、左傾を食い止めたというのだ。
この下山事件と並んで、驚いたのは帝銀事件だ。興味の湧いた方には、一読をお奨めする。
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2006.11.20
所謂、読書案内の本。ロンドンのBounty Booksという出版社が出したもので、英語で読める古今東西の本501冊が紹介されている。
オールカラー上質紙仕上げのズッシリ重い豪華本なのに、19.90ユーロと割安感がしたので、店頭で手にして即購入。近頃、日本語より英語の本を読むことが多くなり、丁度このような読書案内を探していたところだった。
帰宅して早速、気の向くままにページをめくって愕然とした。全く知らない本ばかりなのだ。読んだことのある本など10冊にも満たない。多少は読者家だと自負していたのに、全く恐れ入ってしまった。と同時に、まだまだ自分の知らない世界が広がっていることに嬉しくなってきた。
たぶん英国あたりの教養人であれば、これらの多くの本を読んでいるのだろう。こういった教養の上に、彼らの思考形態が成り立っているのかと考えると、これらの本を読むことで、多少なりとも彼等のことが理解できるのではないか。
この本では、501冊が8つのジャンルに分けて紹介されている。Children’s Fiction、Classic Fiction、History、Memoirs、Modern Fiction、Science Fiction、Thrillers、Travelである。選者の好みのせいか、ノーベル賞作家やベストセラー作家の多くが漏れている。ちなみに日本人作家では、三島由紀夫の「豊饒の海」と、カズオ・イシグロの"The Remains of the Day"が紹介されていた。欧州でも人気のある村上春樹などはなかった。
とにかく面白そうな本を、LifeDriveにメモった。全冊読破は不可能としても、先々の道案内にはなりそうだ。
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2006.09.24
読み物として面白かった。
内容の半分以上は広告の話。キーワード広告という技術が、少数限定された広告需要者に如何に効果的であるかを、2つの事例で非常に分かり易く説明されている。
事例1の主人公は、大田区京浜島で羽田空港利用者相手に、駐車場を経営する山崎夫妻。月間30万円ものコストを要した雑誌広告でも成果がなく、旅行代理店がチケット発券時に同封するチラシを検討する。ところがこれは駐車場料金の3割程度をキックバックしなければならず、「旅行代理店のおこぼれをもらう」ようで納得がいかない。
そんなとき、キーワード広告を知る。グーグルが提供するキーワード広告サービス「アドワーズ」は、初期登録料が500円、あとはキーワードを登録して、利用者がクリックした回数に応じた料金を払うだけだ。クリック1回あたりの単価は、最低7円。但し登録キーワードはオークションになっており、当然人気の高いキーワード単価は高額になる。山崎夫妻は「羽田、駐車場」など二つの単語の組み合わせを数組登録した。落札したキーワード単価は書かれていないが、総額数万円程度の出費で済んでいるというから割安だ。
その結果、キーワード広告によって利用者は3倍に増えた。絶大な広告効果だ。
事例2の主人公は、福井市内の小さなメッキ工場の専務、清水栄次氏38歳。社長の父親に請われ家業を継ぐ。バブル崩壊で傾いた社業を、新規営業で建て直そうと、まずはパンフレット作成を考えるが、200万円と高額だったため、安価(38万円)なホームページ立ち上げに切り替える。ところが検索してもヒットしない。そこでキーワード広告と出逢い、まずはメデタシ、メデタシ。更に続きがあり、主人公清水氏の思いつきで、「個人メッキ市場」を開拓してしまう。それまで当然企業向けだけのメッキ加工業だったものに加え、個人でバイクやアクセサリーやモデルガンにメッキ加工したい人へのサービスを始める。これもキーワード広告がなければ出来なかった。
まさにこれら事例は、ニッチな市場に対するピンポイント広告の威力を見せつけ、ロングテールを実証している。
以上、キーワード広告は凄いぞ、万歳!中小企業なのだが、この本には、ほとんど、グーグルという会社自体は登場せず、その実態はどうもよく分からない。
本の終わりに近付くと、ようやくグーグルが野望を抱いた悪の帝国のように登場する。
グーグル利用者が、無意識に検索しているキーワードを始め、インターネット上に無尽蔵に存在する情報を包括して解析し、その個人の行動や嗜好を把握しようとしている。そしてそれに応じた広告を打つのだ。グーグル・アースで遊んでいると、その場所へのツアー広告が届くかもしれないし、北朝鮮ばかり覗いているとCIAからリクルーターが来るかもしれない。
これは怖いぞ。情報管理だ。監視社会だ。と、この本は結んでいるが、
思うに人間なんてものは、理不尽で、嘘つきで、気紛れで、へそ曲がりなので、目論み通りの情報管理や行動予測をするアルゴリズムなど永久に存在しないだろう。
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2006.09.01
副題"24 Lessons for Mastering Your New Role"
「新米管理職心得帖」とでもいうべきマネジメントの入門書。
24章構成になっており、1章がわずか4ページで、その内1ページは1コママンガ。平易な文書で読みやすい。
何よりも好感が持てたのは、全編を通して謙虚な姿勢とコミュニケーションの重要性を説いているところだ。マッチョな司令官的マネージャー像は登場しない。
内容自体は特に目新しいことはないのだが、英語で書かれていると、「ナルホドネ、旨いこと言うね」と感心してしまう。
普段職場でのスタッフとの会話は英語なのだが、日本語で考えていると、咄嗟の時に旨く英語で伝えられないことがある。そんなとき、英語の常套句をいくつか仕込んでおくと、何かと便利だ。更に普段から英語で考えをまとめる癖を付けると、そのまま会話や文書に使える。その元ネタの一つとして、この本がちょっと役に立っている。
読みながら、マーカーで線を引いたセンテンスを以下にいくつか列記する。
Great leaders gain authority by giving it away.
All you have to do is ask smart question and listen.
Do more listen than talking.
Most employee hunger for information on how they’re doing.
Employees don’t resist change. They resist being changed.
The most dynamic communicators don’t say much.
People are not mathematical equations, so managing then is a fuzzier and more free-form process than inputting hard data.
これなどは、こう言われると救われた気分になる。
Your job as manager isn’t to teach employees everything they need to know, but to let them learn on their own. Then you wind up with a more motivated and intelligent team.
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2006.08.21
20世紀初頭のメキシコを舞台とした恋と革命の長編小説。
主人公は、メキシコ公使の父親に呼ばれ、その地に就いた20歳の青年、堀口大學。そう、詩人であり翻訳家として後年高名を為す堀口大學である。
大學は偶然にも出逢った、コーヒー色の肌のメキシコ娘、フエセラ・ポラドーラ嬢に恋をする。フエセラはメキシコ大統領の姪。大學は自由奔放で魅惑的なフエセラに心奪われ、偶然の再会を求め、夜会に足を運び、街を徘徊もする。やがて親しく言葉を交わし、二人だけで逢うことも叶うが、フエセラの気持ちを推し量ることが出来ない。
その他の登場人物達の生き様も、この小説の大きな魅力である。
公使館の庭師、野中老人は戊申の際、幕軍として戦い敗れ、植民団としてメキシコに流れ着いた。開墾地では洪水、日照り、マラリヤと闘い、高給欲しさにアメリカの捕鯨船にも乗ったという苦労人。
フランス語の家庭教師、ドン・ルイス・ペレンナという老紳士は元フランス軍将校で、メキシコ遠征後、幕末幕府に砲術を指導し、その後普仏戦争にも従軍、パリ・コミューンにも加わっている。
そしてフランシスコ・マデロ大統領。前ディアス政権を革命で追い落としたにもかかわらず、殺生事を嫌い、学者のように知的で、普段は物静かな紳士である。小説クライマックスでは、軍部のクーデターを受けることになる。
大學の父もまた、1894年朝鮮での閔妃殺害事件に関与したという暗い過去を持ち、外交官としてだけでなく義侠心を持って、マデロ大統領の苦難に手を差しのべる。
明治が終わろうとするこの頃、日本はロシアに勝って世界に躍り出たとは言え、まだ19世紀から続く過去を引きずり、20世紀という全く新しい時代が見えないでいた。日本だけではなく、メキシコにとっても、欧州列強にしても、そしてアメリカにも。
この人類史の大きな転換期に、大學はこのメキシコで、詩作と恋だけに暮らすことは許されず、砲声と市街戦、多くの市民の犠牲を目の当たりにすることになる。
作者である矢作自身は、本作のマンガ化や宝塚歌劇化を望んでいると、インタビューで冗談(本気?)を飛ばしているが、いやいやご謙遜、ハリウッドが映画化しても良いほど面白い作品だった。ただ、脇役達が語る歴史観や世界観、人生観は、小説でこそ味わうことが出来るものだろう。
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2006.08.15
物心付いた頃だから、多分幼稚園に入る前、「東京こどもクラブ」というレコード付き絵本が毎月郵便で届いた。毎月1冊の12回配本で、いわゆる童話の読み聞かせレコード本だ。勿論自分の意志で購読したのではない。母の差し金だ。
12の童話の内、特に気に入っていたのは「わらしべ長者」と「でっかいとうもろこし」だ。どちらも面白可笑しいハッピーエンドのお話で、繰り返しそのレコード盤をターンテーブルにのせた記憶がある。
ところが今もって印象深いのは「幸福の王子」である。
当然その幼少の頃、「幸福の王子」の作者が、オスカー・ワイルドだとは知らなかったし、それはどうでも良いことだった。中学か高校の頃、オスカー・ワイルドの名前を知り、成人した後、新潮文庫版を買って再読したものだ。
昨週末、街の本屋の英書コーナーで、このペーパーバックを見つけて買ってきた。
その晩、ベッドの中でページをめくると、自分でも驚くほど不思議な気分に襲われた。
英語の原文で読むのは初めてだったのに、まるで何度も繰り返し読んだもののように、登場人物(王子の銅像とツバメ)の台詞が、リズミカルに口をついて出た。
冬を迎える街の広場で、銅像の王子が自らに装飾された宝石や金箔を、貧しい人達に分け与えるために、南へ旅する途中のツバメを引き留め、デリバリーを依頼する。当初はやむなく引き受けたツバメも、貧しい人達の喜び様と、王子の誠意に心打たれる。両目のサファイアを分け与えたために、盲目となった王子に代わり、ツバメは街の貧しい現状を報告し、来る日も来る日も王子の体の金箔を剥がし、貧しい人達に届ける。
やがて本格的な冬が訪れ、ツバメは王子に暇乞いをする。王子は今までの感謝と、南に飛び立つ祝福の言葉をツバメに与える。しかしツバメはもう何処へも行かない、命が尽きるのですと告げる。
何度も読み返したはずの童話なのに、胸に熱いものが迫った。
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2006.06.20
面白い!!!
ヨーロッパ旅行記の傑作だ。
テレビドラマ「裸の大将」は、どうも偽善的な作り物の臭いがして好きではなかったが、本著では人間本来の可笑しさや矛盾、駄目な部分が生々しく語られており、すっかり魅了されてしまった。特に飾り気のない文章が素晴らしかった。
出発前の外務省での面談から大笑いだ。行きの機内で年若いスチュワーデスをつかまえて「おばさん、おばさん」と呼びかけたり、見知らぬドイツ人に話しかけ日本語で返答され仰天したり、立ちションや裸になることを禁じられ弱ってしまったりと、普通の旅行記では絶対にあり得ない愉快なエピソードに溢れている。
ただこの旅行は放浪ではなく、引率者付きの団体旅行だった。お得意の放浪ならば、全く違う視点で、観光地ではないヨーロッパを見て歩いただろうと思うと少し残念だ。自身が「日本のゴッホ」と呼ばれたためか、興味もないゴッホの美術館や墓に連れて行かれ、スケッチさせられ不平をこぼしたりもしている。
ただゴッホの自画像を評して、貧乏でモデルを雇えなかったからだというのは卓見だし、自分でも自画像を描くと、没頭のあまり同じように怖い顔になってしまうというのには感心した。
まぁ読んでいるだけならば楽しいが、同行の引率者は大変だったろう。
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2006.06.15
日本で話題の本なので取り寄せて読んだ。とても良い本だった。
今現在と近い将来のインターネット事情を把握し、社会への影響を考えさせられた。
非常に読みやすく、内容も面白くて興味深かったが、唯一タイトルが内容に適していない。
本著で提示されている考え方で、非常に興味深かったのは、
不特定多数無限大の情報や労力を、ほぼゼロに近いコストで集積したとき、価値が生まれるのか? 衆愚で終わるのか? という命題に対して、
「『全体』など全く意識せずに行う『個』のネット上での営みを上手く集積すれば、自動的に『秩序形成』という価値を創出できるのではないか」としてる点だ。
これについては手放しの楽観主義によるものではなく、誤りや失敗などのプロセスも認め、清濁併せ呑むことを前提としており、不特定多数無限大には自ら濁りを浄化する機能があるようにも書かれている。
この趣旨は魅力的だ。これを推し進めれば、インターネット投票による直接民主主義も実現できることになる。
これ以外にも、ロングテールやWeb 2.0など、ここドイツでは目にも耳にもしない言葉が紹介されており、勉強になった。ヨーロッパに比べ、アメリカと日本は進んでいると痛感した。
読むならば早めに読むことを勧める。書かれた事例は日に日に変化するので、数年後に読むと理解の妨げになるだろう。
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2006.06.10
面白そうだったので、amazon.co.jpから取り寄せて読んだ。航空便で、約1週間で手元に届いた。便利なものだ。
日本についての対話本。8割共感出来て、1割異論を持ち、残り1割は判断不能だった。
日本人の一般的な感覚からすると、この2人の考え方は異質なものになるだろう。しかし、日本の外側で「外国人」とか「異文化」とかいう感覚が薄れ始めた今の自分にとっては、全く真っ当な考え方に感じた。ただ伊藤は多少急進的で、村上は少し穏健に感じた。
特に最終章で語り合われている「ヒューマニズムより、経済合理性」には、全く同感だ。二宮金次郎の功績を事例に挙げ、ヒューマニズムだけでなく、合理性があったからこそ、成果が残せたという見方には、説得力がある。「偉い人」というのは人徳があるばかりでなく、ちゃんと頭が良くなくてはいけないのだ。
知らなかったこともたくさん書かれていた。アルカイダが最も先進的な軍事組織である話や、日本でタクシー運転手が定年後ホームレスになる準備をしている話、1989年のサンフランシスコ大地震でホームレスが救援活動で活躍した話(彼らは社会インフラが崩壊しても生活できる技術を持っているのだ!)など。
ただこの本で同感できない部分もあった。伊藤は日本のオタク文化を肯定的に捉えていたが、自分としては村上同様少なからず懐疑的だ。オタク文化から陰湿さが取り払われ、開放的な陽気さが伴えば、世界に対して充分誇れるものになると思う。
読み終えて、村上の「半島を出よ」が読みたくなったし、キューバ革命とカストロ政権について調べたくなった。
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2006.06.08
クルマで40分の隣町マインツにある、グーテンベルク博物館に行った。部屋全体が防火金庫となっている展示室に、目当ての「聖書」があった。それも2冊も。実際に目にした聖書は、予想よりも巨大で、期待以上に色鮮やかに美しかった。
1455年頃に160〜180部印刷されたこの聖書は、製本前の状態でワイン樽に詰められ欧州各地に送られ、受け取った顧客は好みに合わせて自前で製本した。そして本の形で現存しているのは世界でわずか48冊。そのうちの2冊が、このグーテンベルク博物館が保有し、また1冊は日本の丸善が競売で落札し、今は慶応大学が保有している。
この博物館では、聖書以外にも印刷の歴史や製本、製紙の技術まで紹介され、アジアの印刷史の展示もされていた。非常に充実した展示品にすっかり感心し、ミュージアム・ショップで売られていたこの本を買って帰ってきた。
著者は丸善の社員として、この「聖書」の競売に携わった人で、ビジネスマンと言うよりも、学者並みの博識に驚かされた。
この本では、この聖書が印刷され、現在の所有者の手に至るまでの様々な経緯が紹介されている。戦火を逃れるために大陸を往復したものもあれば、戦利品として略奪されたもの、古い教会から発見されたものなど、実に様々なストーリーが書かれている。
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2006.05.17
この小説は、紙に刷った本としては容易には手に入らない(はずだ)。但しインターネット上では、びた一文払わずに容易に手に入る。これもまた、青空文庫で入手した、いわゆる電子本だからだ。
但しこの作品は、青空文庫に綺羅星の如く名を連ねる文豪達の作品とは異なり、作者の死後50年を経て、著作権保護期間が過ぎたものではない。著作権は依然作者に帰属し、作者は依然存命である(はずだ)。
ストーリーはサブタイトルにもある通り、「パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語」である。
主人公カメイ課長が、架空の小型パソコン「スレイヴ」に「とくにジャンルはない」と小説(?)を書き始めるところから、この小説も始まる。それはまるで漱石の「猫」のようでもある。
カメイ課長の小説は一向に書き進まれないが、重さ300g、大きさ17.1x8.4x2.2cmのスレイヴには精通していく。OSが(MSぢゃない)DOSで、主要なソフトは全てフリーウエアであることなどを知る。そしてパソコン通信も始めるようになり、東京出張時にあるオフ会に参加するところから、話は急展開する。
と、まぁ、真面目に要約すると以上の通りスッキリだが、実際に読んでみると、混沌としたニッポンの社会情勢と、秋葉原的なサブカルチャーの海を泳いでいるような疲労感を憶える。ここドイツでの生活では味わえない刺激に満ちているとも言えよう。
ゲラゲラ笑いながらこの小説を読み終えた時、ふと我に返り、こうしてweblogを書いている自分もカメイ課長なのだなと気付く。
すっかりこの小説に感心したので、何らかの方法で作者が募っている印税代わりの寄付をしたいと考えている。
<作者ホームページ>
http://homepage3.nifty.com/hatanaka/
http://hatanaka.txt-nifty.com/ronda/
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2006.05.16
ときどき青空文庫を利用する。
著作権の切れた文学作品が、電子データで自由に閲覧・ダウンロードできる。
海外に暮らす身にとって、ときどき漱石や鴎外が読みたくなっても、近所の書店で岩波や新潮の文庫本を気軽に買い求めるようなことができない。そんな我が身にとって、インターネットでの電子出版は非常に重宝なのだ。また何よりも無料であることがありがたい。
今日は芥川の短編をいくつかダウンロードして読んだ。
その中で一番面白かったのが、この「西郷隆盛」。
実際に人から聞いた話だという作者の前置きから始まる。史学科の学生だったその人は、東京に向かう夜行列車で謎の老紳士に出会う。他に乗客のいない食堂車で、学生が西南戦争を卒業論文に書くと言ったことから、老紳士は驚くべき話を始める。
青空文庫を利用するたびに、読むための最適なデバイスを思案する。普段パソコンの画面で読むのだが、できれば紙の本のように、就寝前ベッドの中で読みたい。最近ではPSPやiPodやデジカメでも読めるソフトがあるのだが、どれも一長一短があり使ってみたいと思うデバイスがない。
そんな中、VAIO type Uが発表され気になっている。
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2006.04.03
アメリカのビジネス雑誌の10周年記念号。
東京やニューヨークや上海ならば、dog-eat-dogなのだろうが、フランクフルトは小さな地方都市なので、厳しい競争や猛烈な忙しさを感じることは少ない。もっと時間がゆったりと流れている。
たまには世界の激流を感じる必要もあるだろうと、この雑誌を買ってみた。
そもそも日本に暮らしていた頃は、"fast"という形容詞に良い印象がなかった。世界の動きが加速して、1時間かけていた仕事を10分で片付けなければならないような気分になったものだ。電話は鳴り続け、未読メールがモニターを真っ赤に埋める。カップ麺を食いながら毎晩残業。疲れ果て、地下鉄の吊革にしがみつく。嗚呼、東京ライフだ。
しかしそれはどうも間違いのようだ。
本当の"fast"は、スムーズな意志決定や業務の簡素化にあるのだ。この"fast"によって「ゆとり」を取り戻し、本来じっくりと時間をかけるべき事に注力することなのだ。
いや、むしろ、「さっさと仕事を片付けて家に帰ろう」の"fast"なのかもしれない。
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2006.02.27
数字のパズル・ゲーム、「数独」である。
日本にいた頃は、全く存在を知らなかったのだが、こちらドイツの書店では、やたらと目に付く。何十種類もの本が平積みで売られ、専門月刊誌まである。
暇つぶしに1冊購入してチャレンジしてみたら、これがなかなか面白い。
いくつかの解法アルゴリズムを駆使して、数字を埋めていくのだが、なかなか簡単にはいかない。一見シンプルに見えて、奥が深い。長いときには1問解くのに1時間位、うんうん唸りながら挑んでいる。
最初は、「いち、にい、さん、しい、、、」と日本語で唸っていたが、最近はなぜか「アイン、ツヴァイ、、、」と唸っている。
それにしても「数字は独身に限る」とは、どういう意味なのだろう?
氷点下の週末、謝肉祭の喧噪をよそに、我が家の居間でSuDokuを解く。退屈しのぎには丁度良い。
数字は独逸に限る。
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2006.02.13
バイエルンの王様の話。
もし彼が中世に生きていれば、幸福な生涯を過ごせたのかもしれない。
しかし時代は19世紀後半。世界は近代化へと動き始めていた。主要都市間に鉄道が施設され始め、社会主義運動は非合法とされ、欧州の列強がその軍事力で世界の覇権を争う時代だ。バイエルンの北にはプロイセンが、ドイツ統一に向けて確実に力を付け、そのチャンスを窺っていた。
主人公ルートヴィヒ2世を狂人として片付ける歴史書は少なくない。確かに彼は、非常に内向的で空想癖が強く、同性愛者で、ワーグナーと無意味な築城に国庫を浪費した。しかし彼は馬鹿ではなかった。むしろ聡明だった。事実プロイセンの鉄血宰相ビスマルクは、彼を世評に反し「政務については明哲な君主であった」としている。
その通り、ルートヴィヒが下した数少ない政治的判断は、プロイセンとの全面戦争を避け、ドイツ帝国統一後もバイエルン王国を残した。最小限の損失で、国家を敗北へと導いた。事実、バイエルン国民には終生人気があった。
最期は、反プロイセン色の強い政府に精神異常として幽閉され、その精神科医と湖に散歩に出たまま、なぞの死を遂げている。自殺か、事故死か、もしくは他殺かは今も不明だ。
副題「夢の王国の黄昏」は、ルートヴィヒの生涯を言い表している。彼が残したのは、ノイシュヴァンシュタイン城に代表されるメルヘンの王国と、神々の黄昏のように壮大で華麗なワーグナーの歌劇だ。
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2006.01.13
またまた鳥瞰図である。
以前紹介した吉田初三郎はデフォルメされたパノラマ地図だが、今回の本書は、まさに鳥になって上空から見下ろした古代都市の精密画である。地中海沿岸を中心とした数十の都市が、水彩で描かれている。
解説文がドイツ語なので、何が書いてあるのかよく判らないが、画集として眺めているだけでも充分に楽しい。空飛ぶタイムマシーンで観光飛行の気分だ。
世界の七不思議であるバビロンの空中庭園や、ロードス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台などもリアルに描かれている。本当にこんなものが紀元前に実在したのか?とも思ったが、七不思議の一つであるギザの大ピラミッドだって、もし現存していなかったら、誰もそれを信じず、空想だよと笑うのかもしれない。
フランス人である著者は、建築家であり考古学者でもあるので、単なる空想画ではない。
フランス語の原書のタイトルは、"L'Antiquité retrouvée"。
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2005.12.06
子供の頃、「第一次世界大戦はオーストリア皇太子の暗殺が切っ掛けに始まった」と習った。確かに1914年6月28日に、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公は、セルビアの国粋主義者によって殺され、翌月7月28日にオーストリアはセルビアに宣戦布告した。
しかしここから世界大戦を読み始めても、全く情勢を理解できず無意味に終わる。本書は皇太子暗殺から遡ること4年前、1910年5月のロンドンでの英国王エドワード7世の葬儀に始まる。このエドワード7世こそ、ヨーロッパ各国王家の間での姻戚関係における要であり、平和の支え棒でもあった。
新興国ドイツは、19世紀の植民地競争に出遅れ、狭い欧州大陸の真ん中で、ロシア、フランス、イギリスなどの強国に包囲され、圧迫感を募らせていた。成長拡大こそ帝国主義の本質であるが故にか、近隣諸国、特にフランス侵略は、ドイツにとっての必然的宿願であった。
フランスにとっても、ドイツからアルザス地方を奪還することは悲願であった。
つまり乱暴に言えば、ドイツもフランスも戦争を望んでいたのだ。
第一次世界大戦のメインマッチはこのドイツ対フランス戦なのだが、これにイギリスとロシアが加わり、ベルギーが巻き添えを食い、バルカン半島には火がつき、遠い太平洋では日本が火事場泥棒を狙っていたという、この壮大な構図が世界大戦の全容だ。但し本書は欧州大陸の西部戦線にフォーカスして物語を進めている。
本書の後半では、開戦から約1ヶ月間のドイツ軍のフランス侵攻が書かれている。タイトルの「八月」とは、この1914年8月を指している。
開戦後ドイツ軍右翼は計画通りにベルギーを通過し、北からフランス国境を越え、パリに向け進撃を続けた。フランス軍はそれを止めることも出来ず、退却を続けるばかり。但しそれは敗退ではなく、結果的に兵力を温存した後退だった。ドイツ参謀総長は捕虜の少なさが気になっていた。それに加えドイツにとって、ロシア戦のため東部戦線に2個軍団の兵力を移したことが後に響いた。
本書はドイツ敗退の始まりとなる1914年9月のマルヌ会戦で終わっている。しかし戦争はその後も決着がつかず、4年間も続いた。
とにかく本書は面白い。開戦までの経緯が分かりやすく書かれている。多数の登場人物にも、印象的なエピソードを絡ませ、個性的に仕立てている。それでいて、ストイックな歴史書としても読み応え充分である。
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2005.09.26
副題「湾岸戦争突入にいたる決断のプロセス」
すでに歴史の1ページになってしまった湾岸戦争と、その前段となったパナマ侵攻におけるホワイトハウスとペンタゴンの舞台裏が書かれている。
本書の主役とも言えるのは、当時統合参謀本部議長であったコリン・パウエルと、同じく国防長官であったリチャード・チェイニーだ。この2人は約10年後、国務長官と副大統領として9.11を向かえることになるのだが、その後のアフガン侵攻とイラク戦争時のような確執はなく、湾岸戦争に協力して当たっている。
本書で興味深かったのは、武力行使発案ルートと指揮命令系統の仕組みだ。武力行使するに当たって、その計画全般を司るのが統合参謀本部である。但し統合参謀本部には指揮命令権がない。あくまで大統領、国防長官及び国家安全保障会議の3者に対する顧問の役割に過ぎない。指揮命令は大統領を頂点として、国防長官を経由し、軍司令部に発せられる。
つまりイラクがクエートに侵攻した際、大統領がその対応策の一つとして武力行使を検討する場合、法律上の軍事顧問として国防総省の立場にある統合参謀本部議長に諮問することになる。しかしこのときパウエルは武力行使に消極的だった。一方外交手段などで平和的な解決策を推し進めなければならない国務長官ジェームズ・べーカーの影は薄い。
そこで大統領の意志決定に大きく関与したと思われるのは、国家安全保障担当大統領補佐官であったブレント・スコウクロフトだ。彼は現役軍人(元空軍中将)ではない。大統領のアドバイザーに過ぎない。つまりホワイトハウスの中の側用人だ。また彼は大統領にとってゴルフや釣りの重要な遊び相手でもあった。
つまり湾岸戦争時、大統領には統合参謀本部議長と国家安全保障担当補佐官という2人の軍事顧問がいて、後者の意見を主に採り入れた節がある。
そうするとどうしても国家安全保障担当補佐官の役割が、軍事的意志決定に取って大きな比重を占めているように思えてならない。事実、ソビエト連邦との冷戦に、武力行使無しに勝利したレーガン政権時の国家安全保障担当補佐官は、軍人であったが穏健派であった。このスコウクロフトの前任者が、コリン・パウエルであった。またちなみに9.11後のイラク戦争時の同補佐官は、現国務長官であるコンドリーザ・ライスであった。
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2005.08.22
フランクフルトに暮らして、特に気付くのは外国人の多さだ。トルコ人を筆頭に、東欧、ギリシャ、イタリア、中東などから来た多くの人々が暮らしている。
また女性の社会進出も当然の如く為されている。市長は女性であるし、タクシーや路面電車の運転手にも女性が多い。市内を巡回しているパトカーは、男女二人組であることが多い。その反対にスーパーマーケットのレジ係は男性も多い。更に普通の一般雑誌にも、音楽や映画、スポーツのページと並んで、同性愛者のページもある。
こういった人種や国籍、文化、言語の多様性、ジェンダー等への姿勢が、必然的とは言え、日本とは大きく違う。
本著は、そのような実情を丁寧にレポートしており、普段ぼんやりと感じていた考えを整理するのに適していた。
特にヨーロッパは、外国人居住者の課題に、実に真摯に対応していると思う。わずかに排他的な動きが出れば、それを毅然と否定する良心が働く社会風潮がある。それには今でもナチスへの反省があることと、多様性を旨く利用しようとするしたたかさもあると思う。
例えば、ここフランクフルトでは低賃金労働の多くを、トルコ人や東欧人が担っている。彼らの存在を否定しては、社会が成り立たないのだ。但しこれは差別ではない。高等教育や高度な職業訓練を受けていなければ、ゲルマンであろうと低賃金労働に就いている。単にトルコ人等のその比率が高いだけなのである。それでもフランクフルトにはスラム街もなく、治安も非常に良い。
支配、被支配という構造ではなく、社会の中の役割分担による違いを認め合い、お互いが安全に共存することを、ヨーロッパは世界に先駆けて実験しているように感じる。
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2005.08.09
Google Earthの面白さは、大袈裟に言えば「神の目」を得た感覚かもしれない。
そもそも地図を眺めること自体面白いものだ。Sim Cityのようなゲームも、フライト・シミュレーターで地上を見下ろすのも、カー・ナビゲーション・システムを眺めていることすらも、なぜか楽しい。
この気分に最もヒットしているのが「鳥瞰図」だ。鳥瞰図は、真上から見下ろした2Dではなく、鳥の目で眺めた3Dである。Sim Cityで言えば初代ではなくSim City 2000以降に相当する。
この鳥瞰図の大家と言えば、大正・昭和に活躍した吉田初三郎を筆頭にあげられるだろう。この初三郎の作品は、別冊太陽が出している本書で楽しめる。
とにかく初三郎の作品は色使いが美しく、構図のデフォルメが楽しい。例えば、南九州の鳥瞰図には、海の向こうの台湾まで描かれている。島々を結ぶ航路には汽船が行き交い、街道筋には桜並木が咲誇っている。
初三郎の鳥瞰図は、実用地図としての価値はないが、旅情を誘う観光地図としては絶品だ。
もしこの初三郎の鳥瞰図が、Sim Cityのように動きだし、Google Earthのように地球上どこへでも自由に散歩できたら、どんなに素晴らしいだろう。シミュレーション・ゲームや地図ソフトの開発者に期待したい。
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2005.08.08
昭和四十年というから1965年、今から40年前に出された本とは思えない。とにかく面白い。ヨーロッパの上流社会の優雅な生活を描いている。今の日本人で、これ程の域に達した人が、このヨーロッパに何人いるのだろうか。
象牙色のジャギュア・マークⅡで動物園に蟻喰いを見に行き、そのジャギュアを駆って、ロンドンからドーバーを飛び越え、パリやスペイン、イタリアまで足を伸ばす。そしてまた、スクリーン・テストに合格した自分へのご褒美にロータス・エランを注文。
クルマだけでなく、ファッション、料理、語学、更には本業の映画や演劇に至るまで、洗練された博識が披露されている。
交友関係も豪華な登場人物を配しており、ヴェニスで三船敏郎とタタミイワシを焙り、チャールトン・ヘストンから、ロンドンの高級店で乗馬靴を注文した時の失敗談を聞く。
ハリウッドの端役時代から、ロンドンで乗馬靴を注文するのが夢だった彼は、勇気を出して店に入ったが、どんな種類の馬に乗るのかなどを事細かに尋ねられ、やっと寸法を取った後、足のレントゲン撮影までされた。注文して半年後に乗馬靴は届けられたが、中に入っている木型がどうしても取れない。「多分、あれは乗馬靴じゃなくて、木型を保存するための革ケースだったのかもしれんね」と大スターは赤面した。それを聞いた映画プロデューサーが、ロールス・ロイスを注文した時、扉の外につける御紋章はいかがいたしましょうか、と聞かれて困ったというオチは高次元だ。
確かに今もこのヨーロッパには、階級社会が生き続けていると感じることがある。
いつもジョギングしているマイン河畔のボートクラブには、週末の宵ともなると、タキードとドレスの紳士淑女がメルツェデスで集い、河畔を見下ろすクラブハウスのテラスでシャンパンを傾けている。河畔の芝生で日光浴しているのは低所得のドイツ人労働者かトルコ人、東欧人が多く、ビールを片手に、走っているこの日本人を奇異の目で見上げている。
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2005.07.25
中尊寺ゆつこに続いて、杉浦日向子が若くして逝った。
異国に暮らす身にとって、祖国からの訃報には心が痛むものだが、この二人の逝去の報には愕然とした。
テーマとアプローチが全く異なる漫画家ではあったが、両人とも才能に溢れ、独自の分野を切り開いた存在だった。
時代が彼女たちを求めていたのか、彼女たちが時代を築いたのかは、今は考えが及ばない。
ただ、医学が発達しても、病は無情にも若い才能を奪ってしまうという現実に悲しむばかりだ。
また日本のカルチャーシーンを思えば、大きな損失であることに間違いはないだろう。
両名の著書で座右のものを一冊ずつあげると、
杉浦日向子著「江戸アルキ帖」
中尊寺ゆつこ著「ていうか経済ってムズカシイじゃないですか」
合掌。
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2005.07.15
amazon.deで買い寄せて、今読んでいる。
実はインターネットで本を買ったのは初体験である。
東京に暮らしていた頃は、新宿の紀伊国屋、神保町の三省堂、秋葉原の書泉、六本木のABCなどに通って、物色するのが大の楽しみだった。
ところがここドイツの書店では、日本語の書籍はもちろん、英語のものも乏しい。そこで今回amazon.deを利用してみた。流石に日本語の本は買えないが、英語の本は充実している。
発注して3営業日程度で自宅に宅配された。これは良い。
さて本書について、
今までスティーブ・ジョブスの半生記は、何冊も書かれており、そのいくつかを読んでいるが、この人の人生は実にドラマチックで、まだまだそれは終わりそうもなく、ついついその先の続きが読みたくなる。
本書は今年出た最新版なので、iPodが売れてニンマリしているところまで書かれている。しかしジョブスの人生は、このハッピーエンドで終わりそうにない。
MacのIntelチップの採用や、Mac以上にiPodが収益に貢献していること、一人勝ちの音楽ダウンロード業の今後など、アップルを取り巻く情勢は、この先どうなるのか目が離せない。
1984年Mac発売当時のライバルであったIBMパソコンは、今はその事業を中国メーカーに売り渡し、ジョブスのようなシリコンバレーの成金に憧れていたビル・ゲイツは、世界一の金持ちになってしまった。まるでファンタジーの世界の歴史絵巻を見ているようだ。
ただ本書では、著者がジョブス贔屓のようで、ジョブスのケチで傲慢な面があまり書かれていない。最近は悪い噂は聞かないが、昔は平気で仲間を罵倒する独裁者で、アップル社内でも人望がなく、皆に嫌われていたと聞く。
ともかくジョブスは、全く類を見ないタイプの経営者だ。むしろ政治家や宗教家に多いタイプだと思う。
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2005.06.27
副題「映画、アニメから料理、ファッションまで」の通り、日本発の文化が、海外でどのように受け止められているかを、多角的に紹介しており、非常に興味深く読んだ。
日本に住んでいた頃は、普段はあまり意識していなかったが、「キル・ビル」や「ラスト・サムライ」は、やはり気になって観ていた。但しそれらは実感がない架空の国ニッポンでしかなかった。
海外に暮らし始めてまず最初に感じたのは、自分が黄色人種あることだ。白人や黒人から見れば、日本人も韓国人も中国人も見分けが付かない。日本人の自分ですら、時折街で見かける東洋人の国籍を、正確に言い当てる自信がない。事実当地では日本料理店を経営する韓国人もいる。
また、国民性と言い捨てて、性格分類するのも当てにならないと痛感した。陽気なドイツ人もいるし、怠け者の日本人もいる。内気なイタリア人や、没個性なフランス人もいる。
これだけ人種としても国民性としても日本人のアイデンティティーは薄いが、こと文化に関しては独自性があると感じる。
特に古典文化や精神論だけでなく、現代の映画やアニメや料理は予想以上に海外に浸透している。
本著では、対象とする海外を特定していないため、その分野は多彩だが、アジアやアメリカに比べ日本人居住者が少ないここヨーロッパでも、日常生活の中に「日本」を時々見つけ、はっとすることがある。初めて近所のスーパーマーケットに行った時、にぎり寿司のパックを見て、正直驚いた。また自宅から歩いて数分のところにも回転寿司屋がある。いずれも日本人をターゲットにしていないせいか、あまり旨そうには見えず、未だに試してはいないが。
日本に暮らしていると、どうしても低級な政治や、犯罪の低年齢化残虐化、物欲消費中心の経済など、日本の悪い面ばかり目に付いたが、幸いなことにここドイツには、これらが正確に伝わっていない。その分、未だに日本は遥かに遠いミステリアスな島国なのだ。
先日サッカーのコンフェデレーション・カップの日本対ギリシャ戦を、近所のスタジアムで観戦した。日本が昨年の欧州チャンピオン国に勝ち、大いに喜んでいたら、仕事仲間のドイツ人は「ギリシャ程度に勝っても価値はない」と冷たい。ところがブラジルに2対2で引き分けたら、同じドイツ人が翌朝早速「日本は凄い」と賞賛してきた。
当たり前のことだが、評価というのは、他者がする方が価値があるようだ。日本を採点するのは日本人ではない。但しどう採点しているのかは、常に注意していた方が良さそうだ。
好き嫌いとは別に、世界の人たちが日本の存在を無視できなくなるには、まだまだ時間と工夫が必要に感じる。
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2005.03.04
一隻の軍艦の生涯を通じた日本海軍史。
すでに著者の海軍提督三部作「山本五十六」、「米内光政」、「井上成美」を読み終え、残しておいたこの長編を、丁寧に時間をかけて読んでみた。
大正6年8月28日の起工、大正9年11月25日に就役、以後昭和17年2月までの21年間、連合艦隊の旗艦を務め、その後もいくつかの海戦に投入され、陸奥や武蔵、大和が次々と沈む中、昭和20年8月15日の敗戦を横須賀で迎える。太平洋戦争を生き延びた長門は、昭和21年7月29日、ビキニ環礁での原爆実験の標的として、就役以来25年の生涯を閉じる。
日本海軍の歴史は、日露戦勝までの創成期、昭和16年12月8日のハワイ作戦までのネイヴァル・ホリデイ期、そして敗戦まで終焉期の三つに分けて捉える事ができそうだ。日本海海戦までに関しては司馬遼太郎の「坂の上の雲」、負けるとわかって始めてしまった太平洋戦争に関しては阿川の提督三部作を読んでいて、流れは掴んでいたつもりだった。それら前後の真ん中で抜けていた「海軍の休日」を、この「軍艦長門の生涯」で楽しめたのが収穫だ。読んでいて、この時期の戦わない海軍が、もっともまともでスマートに感じた。
軍艦設計の神様と呼ばれた平賀譲や、ワシントン海軍軍縮会議に臨んだ加藤友三郎、摂政皇太子時代の昭和天皇が、この長門の生涯にも関わって、魅力的に登場している。また歴代の長門艦長や士官、下士官、水兵までも、それぞれ個性的で、生き生きとユーモラスに描かれている。
この良識的な海軍でも、戦争の魔力には勝てなかった。アメリカには勝てないと一番わかっていた山本五十六ですら、ハワイ作戦の先の和平までは、海軍を導くことができなかった。
時代が下るとともに、この小説も暗さを帯びざる得なくなる。海戦シーンでは、敵機の爆撃を受け五体はバラバラに飛び散り、南洋ゆえに腐臭が艦を埋める。やがては出撃する油もなく、廃船同様の姿で横須賀に繋がれる。そして誰にも看取られずにビキニの海に沈んでゆく姿は悲壮だ。
歴史は学べば学ぶほど謎が深まる。悲劇はまるで仕組まれたかのように、その運命の道を下っていく。それがもっとも自然な道のようにさえ感じる。日本は戦争を避けられなかったのか、学べば学ぶほどわからなくなる。
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2005.02.20
工業デザインの本は好きで、ついつい買い集めてしまう。画集を眺めているようで楽しい。これもその中の1冊。
今現在、プライベートで日常使用しているパーソナル・コンピュータは、AppleのiBookとIBMのThinkPad。iBookに関しては、10年以上のMacユーザーとして当然のことなのだが、ThinkPadに関しては、好きになれないOS搭載ながらも、ハードウエアとしての魅力に惹かれ購入した。ThinkPadの使い心地は、メルセデスに似ている。堅牢と安心感。不細工なOSすら忘れさせる箱だ。
1992年に、このThinkPadを創り出したのが、日本IBMのデザイン部門(現ユーザーエクスペリエンス・デザインセンター)。つまりデザインはMade in Japan。
それを想うと、ThinkPadには枯れた漆塗りの硯箱のような趣がある。虚飾を排した漆黒の筐体は、日本の伝統工芸品のようにさえ感じる。
このIBMがPC事業部門をLenovoに売り渡した。名機ThinkPadの美しさも消えていくのだろうか。
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2005.02.06
36歳の主人公が子会社の常務に就いて、3年間で経営再建をしてしまう夢物語。
この種のフィクションは、実戦の参考にはならないと、普段は敬遠しているが、1991年の刊行以来版を重ね、今は文庫本化され、書店でも平積みされているほど、よく売れている本なので、気分転換に読んでみた。確かに読み手が楽しくなるストーリー仕立てと、各章末に「戦略ノート」として補足説明があり、啓蒙書としても興味を惹くように書かれている。
ストーリーはお気楽で、大した苦労もなくハッピーエンドに漕ぎ着いてしまう。それは競争力があるのに年間9台しか売れていなかった製品を、基本的なマーケティング技法を使ったことで、翌年100台以上売ってしまうのだ。つまり主人公は売るものもないところからスタートした訳ではなく、本来売れるべきものを売れるようにした訳だ。もうひとつ、競合他社が弱かったことも成功の原因になっている。ビジネスでの勝敗の決め手は、競争相手が自分より間抜けで怠け者であることが重要だと思う。自分より賢く勤勉な敵にはまず勝てない。
但し、本書を単なるフィクションと笑い飛ばす訳にもいかない。実際に自分自身仕事をしていて、ちょっとした工夫で、大きな成果が得られることがよくある。視点を変えて、新しいやり方で取り組んでみると、案外簡単に突破口が開ける。大事なのはその切っ掛けだ。うまくいかないのは何もしないからだ。少し考えて行動すれば、少しはマシになる。それの積み重ねこそ、強さだと思う。現実は地味なのだ。しかしこれを本にしても売れない。
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2005.02.05
社会科学者の評伝。時代に先駆け近代合理主義を論じた名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に至るまでの、ヴェーバーの生涯が、物語風の読み物として書かれている。
物語の舞台となる19世紀から20世紀に至るドイツは、我々日本人には馴染みが薄い。著者はそれを考慮し、冒頭で森鴎外を登場させている。ヴェーバーは鴎外より二つ年下。軍医としてドイツに留学した鴎外を使って、当時のドイツの様子を書いている。
更にドイツ皇帝ヴィルヘルム一世や、宰相ビスマルクを書くために、憲法調査でドイツに長期滞在していた伊藤博文も登場する。
ヴェーバー自身には当然、鴎外や博文をはじめとする我々日本人との交流はない。しかし彼ら明治人とともに物語が進められると、当時のヨーロッパにおける新興大国ドイツが、グッと身近に迫ってくる。
ヴェーバーの著作については、多くは書かれていないが、数年間精神の病に苦しみ、睡眠も満足にとれず、人と接することも、読書すらも出来なくなってしまったヴェーバーの姿は、彼の思想以上に強烈な印象を残した。そして何よりもこの病の後に、歴史に残る労作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をまとめ上げたのだ。
考えるに、
我々人類のほとんどは、身近な小さな世界の中でその短い生涯を終えていた。ところが18世紀、啓蒙思想や産業革命によって、突然世界が拡大し、時間や利害という概念が、人生や暮らしを支配するようになった。その結果、19世紀には近代兵器による大規模な国家間の総力戦争が起こり、人類一人一人にも心の病が広がった。ヴェーバーはその被害者の一人でもあったではなかろうか。
ヴェーバーの病を読んで思い出されたのが、敬愛する作曲家ラフマニノフである。革命前のロシアに生まれ育ったラフマニノフも、20世紀を目前にして心の病に苦しむ。そして病から立ち直り世に生み出したのが「ピアノ協奏曲第2番」である。
21世紀の現代においても、科学技術は発展し、社会構造は益々複雑化している。地球上からは貧困や憎悪による殺し合いは消えず、更に自然環境までをも破壊し、新種の病が次々と現れている。見渡せば、リストラに脅え、満員電車に揺られ、住宅ローンを抱え、カルテに書き込まれない悩みや不安を誰もが背負って暮らしている。
マックス・ヴェーバーの不安は、100年後の今も尚、解決されていない。
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2004.12.11
福助の新たな経営陣と、新旧社員たちの一年間を追った、スリリングなノンフィクション。
2003年6月21日、民事再生法の適用を申請した日、社員達それぞれの陰鬱な描写からこの本は始まる。その日は土曜日。呼び出しの電話で出社した社員達は、部屋の隅で声を潜め何事か相談をし合い、問い合わせの電話への対応に深夜まで費やす。帰宅すると家族や友人、既に退職した社員達からも電話が入る。どうなってしまうのか。何も分からないまま、一日が終わる。
福助は本業の衰退によって経営が傾いた。不動産投資や新規事業の失敗といったものではないだけに、建て直すには深刻だ。
投資ファンド「MKSパートナーズ」が出資する新会社福助が、旧会社福助から営業の譲渡を受け、経営を引き継いだ。MKSパートナーズの川島隆明が新会社の会長に就き、社長には伊勢丹のカリスマバイヤーとして有名だった藤巻幸夫が招かれた。冷徹な川島と熱血藤巻によるコンビが、福助の再生を始める。
しかし経営者が変わっただけでは、会社は再生しない。商売の仕組みや、社員の意識を根幹から変えるには、経営者ではなく、社員一人一人の行動がなければならない。社員達は苦しみながらも一歩一歩前進する。
この本には主人公がいない。ハッピーエンドでもない。しかし胸の熱くなるシーンがいくつもある。
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2004.11.29
まず、この本の元となった新聞連載の取材班に敬意を表したい。事件や事故だけではなく、こういった市井の庶民を地道に追った取材は、実に立派な仕事だ。ジャーナリズムが不甲斐ないと感じていた昨今において、この本で新聞記者を少し見直した。
当然の如くフィクションではなく、これだけ多様な生き方を紹介した本はないと思う。数え切れないほどの登場人物達は、実に様々な悩みや不安、夢や希望を抱いて「働くということ」と向き合っている。
この本に解答はない。不安や迷いが晴れる訳でもない。むしろ混迷した世の中に頭を抱えるかもしれない。
但し、ひとつだけ明らかに感じたのは、働くことは金のためや、生活のためだけではないということだ。だからこそ人は、如何に働くか、何のために働くのかと迷い悩むのだ。それは苦しく辛いことかもしれないが、とても大切で尊いことだと思った。
この本は、就労前の中高生に読んでもらいたい。もちろん、いくつ歳を重ねても、働く事への迷いを捨てきれない同輩諸兄にも一読願いたい。悩み苦しんでいる多くの戦友に出会える。
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2004.11.28
世に自動車評論家多かれど、最も真摯で現実的なのは、著者三本和彦氏をおいて他にない。多くの評論家諸氏は自らの好みに頼り過ぎ、多様なカーライフを想定していない。高級車や競技車両ばかりがクルマではない。
三本和彦といえばテレビ神奈川の「新車情報」において、辛口のコメントでメーカー担当者を常に戦慄させている。その三本氏の書いた本。期待を裏切らず、客観的にクルマを評した良著だった。
例えば、ホンダNSXのオートマチック車を「乗りやすさと走りの楽しさが両立した見事なクルマ」と評して、スポーツカーであろうとも、クラッチが異常に重いなどといった乗りにくさは良いことではないとしている。全く同感だ。また昔の名車へのノスタルジーに縛られた自動車評を否定し、客観的に最新型モデルの優位性を説いているあたりは痛快だ。さらに日本の道路幅から小型車の車幅の合理性と利便性も的確に説明してる。
特に感心したのは、「若者に学びたい大事なこと」と題した項で、
「私は、日本の今の若い人たちを、ある意味で評価しています。なぜなら、クルマ好きの割合が減り、クルマを特別視しなくなったからです。これはクルマ社会の成熟への第一歩だと思っています。」
まさに卓見だ。これこそ自動車評論家が語るべき言葉だ。
偏ったクルマ好きにではなく、本当に暮らしやすく気持ちの良いクルマ社会を望む人には共感の多い本だと思う。
何につけても「こだわり」は大切だが、こだわりを捨てた広い視野を持たなければ、こだわりが活きてこないと改めて感じた。
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2004.11.20
我が敬愛する文豪によるスピーチ集。とはいっても、講演のような長いものではなく、祝辞や弔辞、乾杯の音頭と言った2,3分程度のもの。小説は勿論エッセイの名手だけあって、流石だなと感心すること仕切りだ。
良いスピーチは、前置きがなく簡潔で、エピソードを含んでいる。その好例として、著作「忠臣藏とは何か」が文芸賞を受賞した式での挨拶。
「どこの家でもさうかもしれませんが、」といきなり始まり、「わたしは子供のころ、わりに大き目の服を着せられてゐました。すぐに丈が伸びるから、もつたいない、といふわけであります。」と切り出し、「これをわたしの姉は、『五ケ年計画』と言つてからかふのでした。」と聴衆を和ませる。が何を話し出したのかと少し不思議に思わせる。
その後、大きめのパジャマのズボンの裾を踏むようにしてはいて「浅野内匠頭」と得意になったと、スピーチのテーマを引き寄せ、「わたしはあのころから、忠臣藏を服装論的、衣装論的にとらえてゐたのかもしれません。」と見事に結ぶ。
スピーチにはいつもアドリブではなく、原稿を用意して臨むそうだ。突然会場で依頼されても、頭の中で原稿を組んでからスピーチするらしい。
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2004.11.16
以前から気になっていた。街角でホームレスのおじさんが、片手に掲げ、立ち売りしている雑誌。今日200円手渡して買ってみた。
手に取ってみると、わずか30ページの薄っぺらなフリーペーパーのよう。内容も正直言ってツマラナイ。200円は高い。無料のR25の方がよっぽど面白い。
しかしこの200円には意義がある。このビッグイシューは、「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」雑誌なのだ。
この雑誌の販売を希望するホームレスは、まず最初10冊を無料で受け取る。この10冊が売れると2,000円の収入となる。この2,000円を元手に、2回目以降は1冊90円で仕入れ、200円で売ることで110円の利益を得る。この販売員になるためには、販売場所や販売マナーなどを定めた行動規範に同意しなければならない。
内容はツマラナイと書いたが、唯一熟読してしまったページがある。販売員を紹介する「今月のひと」の記事だ。路上生活を始めた様々な事情。雨の日も、寒い日も、1日中立ちっぱなしでビッグイシューを売る。売れる日もあれば、売れない日もある。新宿西口に立つ74歳の販売員は、1日平均30冊売るという。30冊だと、3,300円の利益だ。空腹と寒さを凌ぐだけで消えていってしまうような額だ。
昔から街頭募金の類が嫌いだ。しかしこのビッグイシューは違う。ホームレスが自らの労働で金銭を得ようと、正々堂々と雑誌販売に従事しているのだ。
今日の販売員のおじさんは、200円手渡すと本当に嬉しそうに「ありがとうございます」と深く頭を下げてくれて、こちらが恐縮するほどだった。
毎月1日と15日の2回発売されている。しばらく購読しそうだ。
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2004.11.14
日本駐在の外資系企業トップ10人へのインタビュー集。対訳、語注、解説の載った本に、インタビューCDがついて1,600円。英語の勉強を兼ねて購入。CDをiTunesに入れて、本を見ながら繰り返し聞く。最初は聞き取り辛かったが、慣れると文字よりも意図が伝わってくる。それでも専門用語や抽象的な表現が続くと理解できない。英語力不足を痛感。
仕事の都合、電話で英語を使うことが時々ある。自分が言いたいことは前もって頭の中で組み立てているので、全く話せないということはないが、聞くことに関しては、不自由することが多い。話せなくても聞き取れれば、情報獲得にはなる。まずは「聞く力」だな。
気を取り直し、初歩からやり直しだと思い、VOAのSpecial Englishを最近聴取している。VOAとはVoice of Americaというアメリカの海外向けラジオ放送局。昔は短波ラジオで聴いたものだが、今はインターネットを通じてWebキャストでも聴取できる。そのVOAの中でSpecial Englishという30分番組は、非英語圏の聴取者を対象に、簡単な英単語を使って、かなりゆっくりと話すニュース番組。曜日によっては、ニュース以外にも短編小説の朗読もある。聴取にはReal Playerが必要。
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2004.11.07
英英辞典が欲しくなって、丸の内OAZOの丸善へ行った。
OAZO丸善は何度か行っているが、いつも仕事の合間に寄るので、1階のビジネス書で時間オーバーになってしまい、上階に昇ったことはなかった。まずは3階の和書の辞書コーナーに。が、気に入ったものがなく、4階の洋書の辞書棚に。
いくつか手にとって、使い勝手を比べてみた。辞書を選ぶ時、いつもやっているテクニックとして、同じ単語をひいてみる。いかに端的に分かり易く書かれているかで選ぶ訳だ。今回は適当に開いたページにあった"death"で比較してみる。
ある辞書は哲学的で回りくどかったり、またある辞書は難しい単語を使っていて意味不明だったりした。最終的に選んだこのLONGMANのActive Study Dictionaryでは"death"を、"the end of someone's life"としていた。シンプルで実に分かり易い。またこの2004年の第4版はフルカラーで、使用頻度の高い単語の見出しが赤文字で、その他が青文字で見やすくなっている(本文は黒文字)。カラフルな挿絵も多からず少なからずの塩梅で、実によろしい。この辞書のサブタイトル(?)も気に入った。"helps you build your vocabulary" そうなんです。語彙が不足しているんです。いつも同じ単語で片付ける症状が出始めているんです。
帰りの地下鉄で"love"を引いてみた。
"a strong romantic feeling for someone"
おぉ、なるほど、そう来るか。"strong"がミソだな。何だか新鮮な気分だぞ。英英辞典は面白いなぁ。
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2004.10.30
セブン-イレブンとイトーヨーカ堂の会長である鈴木敏文の本。とは言っても、本人が著したものではなく、会議でのスピーチの速記録を編者がまとめたもの。
2冊に分刊されてはいるが、取り上げているテーマは同じで、セット上下巻と位置付けられる。内容自体も、順序立てて論説する訳でもなく、まさに社員を前にした朝礼スピーチ集、会長語録といったところだ。そのためマーケティングの教科書には成り得ないが、事例がリアルで興味深い読み物になっている。
但し書かれていること(言っていること)は、当たり前なことばかりで、成功の秘密めいたものは見当たらない。基本四原則と称して繰り返しているのは、「品揃え」、「鮮度管理」、「クリンリネス(清潔)」、「フレンドリーサービス」と意外性はない。しかしそれら基本の徹底を強く訴え、毅然と会社のあるべき姿を断言している魅力は大きい。
「われわれにとっての最大の競争相手は、同業の他社・他店ではありません。世の中の変化、お客様のニーズの変化こそ最大の競争相手なのです。」また価格訴求による安売りを嫌い、価値訴求をしていれば必ず売れるとも断言し、「私たちは価値を売る企業だ」と、社員からすると何とも心強いトップである。
ヤオハンの和田一夫、ダイエーの中内功とコケてしまった今、流通業界で注目すべき経営者と言えば、鈴木敏文をおいて他にない。
しかしながらつくづく考えさせられるのだが、中小企業ならばまだしも、日本有数の大企業になっても経営者一人の優劣が、社業に大きく影響するのものなのだろうか。
ドラッカーに学ぶまでもなく、大規模の組織となれば、個人の力量だけで組織的成果を残せるようなものではないと思う。トップがすべきは、優れたマネジメント・チームを所有し、縦横に使いこなすことだと思う。
それを思うと、鈴木敏文にしても、カルロス・ゴーンにしても、孫正義にしても、彼らを支えるマネジメント・チームにこそ、優れた経営の本質があるようにも思えてならない。
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2004.10.23
フィリップ・コトラーとフェルナンド・トリアス・デ・ベスの共著
コトラーの既存の大著群に比べると、コンパクトで読み易い。片手を電車の吊革にかけていても読める。コトラー本と言えば広辞苑並みに重く大きかった。これまでは本を売るというマーケティングが弱かったと思う。冗談はさて置き、
この本では水平思考(lateral thinking)で発想する「ラテラル・マーケティング」を取り上げている。
まず伝統的なマーケティング思考法として、垂直思考(vertical thinking)による「バーティカル・マーケティング」について書かれている。これは市場を細分化し(segmentation)、標的市場を決定し(targeting)、その市場の中での位置付けを明確化する(positioning)、という基本的手法によるものである。このバーティカル・マーケティングは、既に存在する成長途上の市場では有効だが、成熟してしまった市場では、市場を守ることぐらいしか効果が得られない。全く新しい市場を創造し、新しい製品やサービスを投入するには、水平思考によるラテラル・マーケティングが必要だと説いている。
いくつもの事例を挙げて、このラテラル・マーケティングを説明しているが、一番馴染み深い事例が、「ソニーのウォークマン」だ。ウォークマンは再生専用の携帯型オーディオという、それまで存在しなかった製品で、全く新しい市場を創造した。当初はそのメディアは、カセットテープだったが、その後CDやMD、シリコン・メモリーやハード・ディスクなどにも派生した。音声再生に限らず、映像も楽しめる携帯型DVD再生機にも派生している。
つまり、初代ウォークマン登場がラテラル・マーケティングで、その後の派生がバーティカル・マーケティングによるものだ。iPodもこの理屈に照らせば、画期的なことではない。
またソニーはこの市場にCDやMD、HD等の様々な記録装置によるウォークマンを投入しており、共食いを起こしているとも考えられる。
ソニーが近年行ったラテラル・マーケティングはAIBOだろう。それまでになかったエンターテイメント・ロボットという市場を創出した。
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2004.09.26
この中で、丸谷才一、三浦雅士、鹿島茂の三氏が、日本美100を選び鼎談している。文学、芸術、建築、映画、音楽と非常に多岐に渡っており、実に楽しい。
1位はやはり「源氏物語」。同点2位が「平家物語」、「奥の細道」、「仮名手本忠臣蔵」と無難に続く。
成る程と膝を叩いて同感したのは、46位「十和田湖の紅葉」、63位「幕末太陽伝」、89位「高橋是清自伝」などである。
ランキングを眺め、少し残念だったのが、音楽の少なさ。「小学唱歌」、「滝廉太郎の『花』」、「武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』」の3つしか入選していない。選考基準が「千年後の日本人に残したい日本美」なので止むを得ないのかもしれないが、それだけ日本と音楽は「美」で結ばれていないのかもしれない。
ともあれ「日本の美」は、大いに世界に胸を張れると感じなおした。せっかく日本に生まれ住んだのだから、もっと日本の美しさを堪能したいものだ。
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2004.09.20
マンフレート・フォン・リヒトホーヘンは、1892年5月2日にプロシア貴族の家に生まれる。陸軍少佐の父のもとから幼年学校に進み、1914年の第一次世界大戦開戦と同時に22歳で騎兵少尉として出征した。しかしそれは最前線ではなく兵站部だった。不満を抱いたリヒトホーヘンは、当時騎兵の一科であった飛行隊への配転を希望し飛行学校への入学を果たした。しかしそこでも希望の操縦将校ではなく、偵察将校の教育を課せられた。1ヶ月の偵察教育の後、東部戦線の偵察部隊に配属されたが、ここでも膠着状態が続き、西部戦線への配転を願い出る。そして遂に希望が叶い、当時まだ秘密部隊であったドイツ軍最初の爆撃部隊に配属され、双発爆撃機に射手として搭乗を果たす。
やがて新鋭戦闘機アルバトロスDIIによる駆逐中隊に加えられ、戦闘機乗りとしてのキャリアを歩み出す。当時の機体はいずれもプロペラ複葉機で、エンジンは200馬力程度、スピードも時速200キロメートル以下である。それでも空中での航空機同志の戦闘は、人類が初めて経験する三次元運動による格闘であった。そんな空中戦黎明期に、リヒトホーヘンは自身の空戦技を身に付け、次々にイギリス機を撃墜し勲章を受けていった。
やがてリヒトホーヘンは愛機アルバトロスDIIIを真紅に塗装するようになった。敵国パイロット達からは「赤い騎士」、「赤鬼」、「赤い男爵(レッドバロン)」と恐れられるようになる。
撃墜スコアが50機を超えた頃から、リヒトホーヘンは国民的英雄となり、皇帝ウィルヘルム二世からも招かれる身になった。地上に降りたリヒトホーヘンは、友人も少なく、酒や煙草もたしなむ程度、最大の楽しみは愛犬と遊ぶことだった。
しかしドイツの敗色は深まる一方で、リヒトホーヘンは戦勢挽回の新鋭の三葉機フォッカーDrIを赤く塗り、イギリス機目指して飛び立つが、1918年4月21日、25歳の撃墜王は80機の撃墜記録を残し、再び愛犬のもとに帰ることはなかった。
本著にはこのリヒトホーヘンを筆頭に、二つの世界大戦下の撃墜王20人の評伝が収められている。
著者によれば、「撃墜王となり名編隊長ともなると、彼を敬慕する列機によって助太刀を受けるか、監視してもらえる立場となって、安全性も増しスコアもますます重ねられていく。」、「つまり撃墜王のかげには、何人かのアシスタントが寄り添っていたということになる。」
更に著者は次のような示唆に富む一文を書いている。
「要するに戦隊長以下各中隊長、搭乗員、整備員の間には団結(Teamwork)、そして絶えざる錬磨(Training)、彼らの戦線に投入された時期と場所(Timing)といった3Tが考えられよう。撃墜王が生まれる背景には、このようないろいろな要素がからんでいるのであり、ただ自らを修練すればいつでもなれるというものではない。孤高の剣豪とはいささか異なるゆえんである。」
それにつけても、機体を赤く塗るのはリヒトホーヘンの後、ポルコ・ロッソとシャア・アズナブルに引き継がれることになるのだが、共通して彼らの操縦技術には美しささえ感じられるのだから不思議だ。
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2004.08.29
まず「トヨタ」と「イタリア」と言う組み合わせに興味を持った。自動車が文化にまで昇華された国イタリアで、日本の自動車メーカーの中でも最も産業臭が強いトヨタが、どうして売れているのか? 日本でさえ保守的なイメージの強いトヨタが、なぜあの情熱的なラテン民族に受け入れられるのか?
答えは2つあった。小型車ヤリス(日本名ヴィッツ)のヒットと、イタリアトヨタの北村憲雄社長の経営手腕にあった。
ヴィッツは日本でもヒットした車種だ。性能の良さは勿論、スタイルも従来のカローラなどに比べると精錬され、初見時は欧州車かと思ったほどだ。しかしイタリアで小型車を売るとなると、国産のフィアット・プントを筆頭に、隣国のプジョー206やルノー・クリオといった名車が競い合っている。
そのような強敵揃いの成熟市場で、イタリアトヨタは販売体制の変革を行った。その陣頭指揮を執ったのが北島憲雄社長であった。それまでイタリアでのトヨタは、ランドクルーザーをメインとした高級スペシャルティー車種が、販売の中核を為していた。このカテゴリーは、ブランド向上と利益率に貢献はあったが、業績拡大への量販志向には反していた。この状況で北村は戦略を変え、ヤリスを主力車種とした量販体制に乗り出した。
戦術のポイントは、ディーラー網の整理拡大と、アフターサービス体制の強化充実だった。いずれも量販するには不可欠だが、量販しているからこそ維持拡大できるものでもある。つまり卵が先か、鶏が先かの悩ましい問題で、北村は立ち止まることなく前進し、両方を得てしまった。
著者が北村に「ヤリスは売れていますね」と言ったところ、「売っている、と言って欲しい」と切り返された。
イタリアトヨタ170人の社員のうち、日本人は北村を含めわずか4人。このローカライズも成功の秘密のように思う。
今春、日本ではトヨタ自動車が純利益1兆円を上げたことがニュースになった。TV番組で張富士夫社長はこれに対し淡泊にコメントしていたのが印象的だった。純利益1兆円は単独ではなく連結決算での成果で、海外子会社の好調が貢献していると語った。
トヨタと言えば「カンバン方式」や「改善」といった製造ラインでの経営努力が注目されるが、イタリアトヨタは純然たる販売会社である。良いものを作っていれば売れる時代は過ぎ、売る工夫が重要になってきている中、イタリアトヨタの販売成果は、次世代トヨタの攻める強さを垣間見たようだった。
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2004.08.22
1998年11月に編者が主催するサイト「エッジ」のメーリングリストで発した質問に対する、各界有識者からの返答集。まじめに回答しているものもあれば、ウケ狙いもあったり、中にはルール違反で複数回答や、2000年以上前のものもあり、示唆に富むばかりか、笑えるものもあった。
非常に面白かったで、頑張って以下に回答全てを列記する。
印刷機 ブライアン・C・グッドウィン
電動モーター ロドニー・ブルックス
長距離通信 トム・スタンデージ
犂 コリン・タッジ
静電気をつくる機械 アーノルド・トレハブ
カラベル船 アリン・アンダーソン
科学の組織化 サミュエル・H・バロンデス
緑の革命 ジョン・R・サール
電灯とアスピリン マーク・D・ハウザー
インド・アラビア計数法 ジョン・D・バロウ
印刷機と魔法瓶 レオン・レーダーマン
空飛ぶ機械 リチャード・ポッツ
大学 パウロ・ピニャテッリ
消しゴム ダグラス・ラシュコフ
テレビ ビビアナ・グスマン
グーテンベルクの印刷機 ガーニス・カーティス
ピル スーザン・ブラックモア
電気の実用化 パトリック・ベイトソン
水道 カール・ジマー
遺伝子配列の決定法 ロバート・シャピロ
クラシック音楽 ハワード・ガードナー
インターネット ロジャー・C・シャンク
印刷機 ランドルフ・ネス
蒸留法 ロン・クーパー
テレビ デービッド・バス
コンピュータと原爆 ダン・スペルベル
ピル、銃、水道 マリア・レポウスキー
教育の普及 ロバート・R・プロバイン
33年周期暦 ダンカン・スティール
馬のあぶみと首当て ピーター・タラック
発明を可能とした社会構造 ジョン・C・バエズ
デジタル・ビット テレンス・J・セジノウスキー
読書用眼鏡 ニコラス・ハンフリー
製紙技術 クリフォード・ピックオーバー
乾草 フリーマン・ダイソン
電池 ダニエル・C・デネット
プログラム可能なコンピュータ ロレンス・M・クラウス
レンズ ジーノ・セグレ
万能チューリング機械 ジョージ・ダイソン
椅子と階段 カール・サバーク
複式簿記法 ゴードン・グールド
ガトリング砲 ボブ・ラフェルソン
馬の家畜化 スティーブン・ブディアンスキー
コンピュータ デービッド・ヘイグ
コンピュータ ウィリアム・H・カルビン
インド・アラビア計数法 V・S・ラマチャンドラン
真空管 ピーター・コクラン
印刷術 ヘンドリック・ハーツバーグ
公開鍵暗号システム チャールズ・サイモニー
ボルタ電池 ジョン・レニー
麻酔 スチュアート・R・ハメロフ
20世紀後半の医療 ジェームズ・J・オドネル
都市 スティーブン・ジョンソン
籠 ジェレミ・チャーファス
インド・アラビア計数法 キース・デブリン
言及に値するものなし エバハート・ツァンガー
なし ヘンリー・ワーウィック
超自然現象を信じないこと マレイ・ゲルマン
民主主義と社会正義 スティーブン・ローズ
平等の理念など ジョーゼフ・レドゥー
特別でないと自覚したこと ドン・ゴールドスミス
アルファベットとレンズ スティーブン・ピンカー
淘汰による進化の考え ポール・W・エバルト
望遠鏡 ブライアン・グリーン
科学的方法 ジョーゼフ・トラウブ
教育という概念 スタニラス・デハーネ
コンピュータ・ネット ジョン・C・ドゥボラック
マーケティング ジェフリー・ミラー
哲学的懐疑主義 ルーエン・チォウ
自律性をもって動く道具 ピート・ハット
幾何学 トマス・デ・ゼンゴティタ
原爆 マーニー・モリス
科学的方法 デービッド・E・ショウ
商品としての情報 デービッド・ベルビー
進歩しつづけるという認識 ジョン・マッカーシー
対照群 デービッド・G・マイヤーズ
非宗教主義 ジェイ・オーグルビー
科学 ミルフォード・H・ウルポフ
疑問文と宇宙旅行 ルーベン・ヘルシュ
確率論 クリストファー・ウェストベリー
時計 W・ダニエル・ヒリス
エコノミック・マン メアリー・キャサリン・ベイトソン
鐘と交響楽団 ジュリアン・B・バーバー
においの化学的認識 マービン・ミンスキー
望遠鏡と自然淘汰説 クリストファー・G・ラングトン
ゲーデルの不完全性定理 クレイ・シャーキー
避妊用ピル コリン・ブレイクモア
遺伝子工学 オリバー・モートン
盤上ゲーム ジョン・ヘンリー・ホランド
自我 ジャロン・ラニアー
自治 エスター・ダイソン
微分積分法 ジョン・マドックス
微分積分法 バート・コスコ
無限算法 ベリーナ・ヒューバー=ダイソン
自由意志 ジョン・ホーガン
鏡 トー・ネレットランダース
無意識の概念 シェリー・タークル
分光器 リチャード・ドーキンス
量子論 フィリップ・アンダーソン
コペルニクスの地動説 マイケル・ネスミス
印刷機 フィリップ・キャンベル
キリスト教とイスラム教 スチュアート・ブランド
旗など ミハイ・チクセントミハイ
数学における表現の概念 リー・スモリン
ある考えについての考え ジョージ・レイコフ
デジタル生態系 アンディ・クラーク
数字をつかった予測能力 ジョージ・ジャクソン
見えない技術体系 ハワード・ラインゴールド
以上、108回答。
原文はサイトでも読める。
予想通り多かったのが「印刷機」。予想外に票を集めたのが、「インド・アラビア計数法」。一票も得なかったのが「蒸気機関」。
回答を寄せたのが、その道の論客たちだけあって、ひねくれた答えや禅問答めいたものもあったが、その理屈がまた面白い。知的なゲームだ。
これを主催したエッジではサイト上にThe World Question Centerを常設し、毎年テーマを変えてこの知的問答を続けている。
2004年のお題は、"What's your law?"(あなたの法則は?)で、結構面白い回答が寄せられている。
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2004.08.18
副題「好き勝手に生きる」
芸能界を引退した後の暮らしぶりや考えが書かれた本。
実は上岡龍太郎という人をよく知らない。勿論テレビに映った姿は何度も観てはいたが、彼のレギュラー番組を定例的に視聴したことはない。ただ頭はよさそうな人だという印象はあった。そのうち選挙に出馬でもするのかなとも思っていたが、それはなかった。数年前に芸能界を引退したということもどこかで知ってはいたが、興味関心はなかった。その程度だ。
但し著者のこととは全く別に、「隠居」というものには、ずっと気になっていた。喰うために働くことから解放され、騒がしい世間と距離を置いた暮らしに憧れを持っていたのだ。
江戸時代の武士は40歳そこそこで隠居し、家督を子息に譲るのは珍しくなかったと聞く。「隠居」=「老後」ではなく、本当の意味での第二の人生だったろう。現代においても、何も定年退職まで働く義務はない。幕引きは自分で決めたいものだ。生涯現役も結構だが、何につけても長く続けるのは疲れるものだ。歳を重ねての痩せ我慢は勘弁願いたい。
著者上岡は実に58歳で芸能界を引退し、悠々自適な隠居生活をしている。弟子に言わせると凄まじい勢いで知識情報をインプットしているらしい。かと言ってそれを何かに役立てるつもりがないところが不気味らしい。
知性的に暮らしたいと願うならば、上岡の選択は正しかったように思えてならない。生き方を選ぶ権利は、全て本人にあるのだから。
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2004.08.15
先日この夏の暑い中、以前から訪ねてみたいと思っていた江戸東京たてもの園に行ってきた。とても素晴らしかったので、ミュージアム・ショップで、お土産にこの本を買って帰った。
江戸東京たてもの園を見学する副読本として最良なのは勿論、明治から大正、昭和初期にかけての東京の建物と、そこに住む人たちの暮らしぶりを身近に感じることができる良著でもある。
この本には、江戸東京たてもの園に家屋を移築提供した家族や、各界の著名人達が、たてものにまつわる想い出を書き寄せている。歴史的町並みを再現した他のテーマパークとは違い、この江戸東京たてもの園は本物を移築しているのである。
またこの本の企画編集にはスタジオジブリも加わっており、文を寄せている著名人の中には、男鹿和雄、高畑勲、宮崎駿も名を連ねている。特に宮崎は表紙のイラストを描き、男鹿は本文中に多くの魅力的な町並みを描いている。
この本を読んでいたら、秋の涼しい頃に、再び江戸東京たてもの園を訪れたくなった。
尚、この本は書店では販売していないそうです。
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2004.07.23
マンガ全4巻。帯で(矢作に強要されたか)大友克洋と押井守が推薦文を寄せ、安彦良和が絶賛しているが、結末はタイムスリップという禁じ手で不満。
ただ旧満州で謎の巨大ロボット大暴れというプロットは痛快。
鉄人28号と鉄腕アトムへのオマージュ? アキラのパロディーとも思えるシーンもいくつかあった。
矢作はマンガの原作者としては当代一だと思う。小説よりもイマジネーションが爆発している。但し本作では自爆気味。
欲を言えば絵がねぇ。
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2004.07.11
下品なタイトルだったが、今話題のライブドアの社長の本なので読んでみた。
1972年10月生まれの著者が、如何にして球団を買おうと言うほどの財力を持ったのか知りたかったが、内容のほとんどはタイトル通り「仕事術」ばかりで、企業買収や新規事業立ち上げなど企業経営については触れていなかった。
1日にメールを5000通さばく話には苦笑したが、睡眠時間を充分取るとか、健康管理の重要性など、実に真っ当なことを書いている。それでもマイクロソフトオフィスを嫌って、「エクセルには魔力がある。表を作っていると仕事をしている気になってしまうものだ。」と言い放ち、メールソフトとブラウザだけのシンプル仕事術を勧めるなどは卓見同感だ。
念のため昨年9月の同社の有価証券報告書を確認したら、確かに連結決算で売上高は108億2,489万円だったが、同経常利益は13億1,437万円、同純利益は4億8,886万円と驚くほどのものではなかった。
ちなみに近畿日本鉄道は今年3月期の連結決算で、売上高1兆2,978億円、経常利益334億円、純利益165億円とライブドアの約100倍を稼いだ。
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2004.07.04
マンガ。近くの古本屋で全12巻セットを2,810円で購入。
織田信長が生きていたらという設定の荒唐無稽な馬鹿話。それが実に気宇壮大で痛快なエンターテイメントになっている。
本能寺から始まり、最初は生き延び名を隠し、秀吉や家康の食客となり戦を楽しむ。後半はそれこそ無茶苦茶で、大陸に渡った信長一行がモンゴルの草原でイワン雷帝と対決したりするが、前半は信長の緻密な指示命令ぶりが描かれ妙に関心。
最後に信長軍は1600年に全ヨーロッパを制圧し、ラストシーンはアメリカ大陸の原野に臨み立つ老いた信長の姿で終わる。
本当の信長はこれほど勇猛果敢ではなく、もっと内省的な男だったと思う。陽性な社交性はなく、猜疑心の強い孤独な男だったろう。
これは全くのフィクションでマンガだ。そうとは承知の上でも、信長に魅力を感じるのはなぜだろう。
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2004.06.27
副題「『雇われない生き方』は何を変えるか」
あくまでもこれはアメリカ合衆国での話。原題も"Free Agent Nation"で、アメリカ以外の国には言及していない。
それでも非常に興味深く面白い良著だった。多くの取材による事例をドキュメンタリー風に散りばめ、それでいて論旨は理路整然と章立てて組まれている。
まずプロローグから読み手の関心を惹きつける。
「もっと違う種類の仕事を探したほうがいいと気づいたのは、もう少しのところでアメリカ合衆国副大統領にゲロをひっかけそうになったのがきっかけだったと思う。」と書き出している。
著者は1964年生まれ、クリントン政権下でホワイトハウスに入り、ゴア副大統領の主席スピーチライターを務めた。このゲロ事件の3週間後にホワイトハウスを辞め、自身フリーエージェントになった。
この本に好感を持った理由は、何より偏りのない公正な記述だ。手放しのフリーエージェント礼賛ではない。素晴らしさと同等に、問題点や課題も取り上げている。その上で冷静に、オーガニゼーション・マンから、フリーエージェントへの社会的変化を観察し、報告している。
本著ではフリーエージェントを広義に置き、フリーランス、臨時社員、ミニ起業家の3つのタイプに大別している。
フリーランスはフリーエージェントの典型で、その起源は傭兵だと書いている。その昔フリー・ランス(自由な槍)は、「報酬が納得できて、戦いに意義を認めることができれば、どの君主の旗の下でも戦った」。
臨時社員は、日本でいうならば、期間限定の契約社員や、嘱託、派遣社員など、所謂正社員以外が当てはまる。本著では「テンプ・スレーブ(臨時奴隷)」とまで言われている実態も報告している。
ミニ起業家は、従業員数人の企業を指し、ビル・ゲイツ氏やマイケル・デル氏のような起業家は含まれない。
この3つのタイプを合わせたフリーエージェント人口は3,300万人で、アメリカ労働人口の4分の1になるそうだ。但し著者自身も指摘しているとおり、逆に考えれば4分の3は何らかの組織に属したオーガニゼーション・マンなのだ。しかし社会の4分の1という比重は無視できない。
さて読了後、日本ではどうだろうかと考えた。
まず日本人はどうも寂しがり屋が多いような気がする。すなわち組織や集団が実は好きなのではなかろうか。電話でも「○○の誰々」なのだ。名前だけ名乗っても、「失礼ですがどちらの××さまですか?」だ。組織がビジネスの前提になっている。
確かに昨今、起業の風潮はあるが、それも会社を興して人を雇うという形態であって、結局は新たに組織を創ろうとしている。
また世に言うフリーターも、ポジティブなフリーエージェントには、到底思えない。両親と同居し食住の不安がない就職浪人だ。これも結局はアルバイトという身分で組織に屈している。
フリーランスの本質は、普段は一匹狼で、必要に応じてプロジェクト毎に、他の狼たちと共同戦線を張るというものだ。日本では稀だ。格好いい話だが、未だフィクションの域を脱しない。
ともかくも、時間をおいて再読しようと思う良著だった。
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2004.06.13
楽しみに買ったものの、ずっと積んだままだった。それを先日やっと読み始め、それから取り憑かれたように読み耽り、頁が減るのを惜しむながら読み終えた。
ノスタルジックでセンチメンタルな小説だ。山深い中国の寒村に国外逃亡していた主人公が30年振りに東京に戻る。浦島太郎の東京散歩だ。
東京はまるで現実味のない未来都市のようだ。朝から牛丼屋でビールを飲む女子高生。携帯電話、消費税。コンビニ、ドラッグストア。渋谷、お台場。それらが淡々とスケッチされている。
結末は呆気なく爽やかだった。不思議と後味が言い。腹八分目の読了感だ。
矢作の作品に貫かれているのは、失う事へのこだわりだ。此処ではない何処かへ旅立ちなのかもしれない。失ったのではなく、消えていっただけなのかもしれない。夜が明け、空から星が消えるように、それは切ないのに安らかだ。
初期の作品に見られた、結論を求める姿勢はすっかり薄らいだ。その分ずっと見晴らしが良くなった。人生は不可逆で未来はいくつもある。
古くからの読者である自分にとって、矢作が作中「メルツェデス」をしきりに「ベンツ」と書いていたのが妙に気になった。終わりに近い頃、主人公にBMWを「ベーエムヴェー」と言わせ安堵の苦笑を得た。
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2004.06.05
副題「蟻・脳・都市・ソフトウエアの自己組織化ネットワーク」
原題"Emergence - The Connected Lives of Ants, Brains, Cities, and Software"
はじめのうちは面白く読み進んだが、途中からダレてきた。
要するに、蟻の群れにしても人間の都市にしても、トップダウンではなくボトムアップで成り立っている。「低次のルールから高次の洗練へと向かう動きこそが、創発と呼ばれるものだ」と説いている。各個が全体を把握せずに行動しているのに、結果的に協調性が生じ、秩序が保たれている事例を挙げている。
考え方のひとつとしては面白いが、アリンコの理想郷の話を人間様の世の中には応用できそうにない。蟻のコロニーには、パレスチナ問題も、イラク問題もない。
もちろん著者は蟻を参考にすれば、世の中マルっと治まるとなどは書いていない。しかし読者に、リーダーや王様のいない粘菌に、民主的な秩序の幻覚を与えかねない書きっぷりだ。それに出版社もいくら本を売りたいからって、帯に「ローカルな相互作用から生まれるグローバルな秩序。」 と書くのはどうかと思う。
愉快なことに訳者の山形も、この分散型自律的創発が優れているという無邪気な考えを嫌っている。
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2004.05.27
今は亡き国民的歌手が、高田屋嘉兵衛、大石内蔵助、勝海舟、平清盛、二宮尊徳、児玉源太郎、織田信長、聖徳太子、スサノオ、卑弥呼ら大好きな歴史上の人物達を取り上げている。流石に浪曲師だっただけあり、語り口が明瞭で読み易かった。
特に聖徳太子の項などでは、なかなかの歴史家振りを発揮し、聖徳太子のブレーンであったとされる秦河勝と、その著としている「先代旧事本紀大成経」に関する論述は大したものだ。
ただ最近は聖徳太子は架空の人物だったという学説もあり、著者も草葉の陰で淋しがっているのだろうか。
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2004.05.15
哲学者にしてお茶の水女子大学文教育学部の学部長様による笑える毒舌エッセイ集。特に女性を評したものは卓見、痛快。但しここであまり好評すると、共犯者に見なされる危険が高いので詳しく書かない。
いしいひさいちのマンガも載せられ笑い倍増。
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2004.05.03

女優のエッセイ。夫婦の些細なエピソード。虚実はどうも怪しいが、空想による短編小説として割り切って読む。それはまるで、嫉妬深くワガママな女優「クロキヒトミ」と、穏和なサラリーマンの夫「トシオ」との、一幕ものの二人芝居だ。
妻は夫を観察して楽しむ。イタズラ電話に浮気を疑い脅したり、夫の癖を発見してはからかい喜ぶ。著者の職業によるのか、人物観察と心理分析は大したものだ。それを軽快な文体で綴っており、適度なエスプリと共に、良質なエッセイに仕上がっている。
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2004.05.02
副題にある「もしミッドウェー海戦で戦争をやめていたら」という仮説をテーマにした論説書。
前半第一部はミッドウェー敗戦までの史実を充分に分析し、後半第二部では大胆にもその後の終戦工作を描いたフィクションとなっている。
第一部の史実分析で、なかなかの卓見だと感心したこととして、1942年4月18日の米海軍第17爆撃連隊ドウリットル中佐による本土爆撃を取り上げている。このB25双発軽爆撃機16機での爆撃は真珠湾攻撃以来、優勢を誇っていた日本にとって、突然首都圏を狙われたショッキングな事件であった。被害は焼夷弾をわずかに落とされたに過ぎない軽傷だったが、東条英機首相をはじめ山本五十六連合艦隊司令長官をも動揺させた。短期決戦・早期講和を画策していた山本五十六は、1942年10月に予定していた再度のハワイ攻撃を成し遂げての戦況優位を、講和への必要条件と思案していた。そのハワイ再攻撃の前哨戦として、ミッドウェー作戦を位置付けていた。つまりこのドウリットル爆撃が、ミッドウェー作戦実行の引き金になったと分析している。
整理すると、1941年12月8日真珠湾攻撃、翌1942年2月15日シンガポール攻略、同年4月18日ドウリットル爆撃、同年6月5日ミッドウェー敗戦となる。つまり開戦後約半年で日本の優勢は崩れ、敗戦への坂道を転げ落ちることになる。山本五十六が描いた短期決戦・早期講和の構想も崩れ去った。
そして第二部からは、フィクションがスタートする。1942年8月25日、吉田茂が岳父であり天皇の信任が厚い牧野伸顕を動かし、第4次近衛内閣を誕生させる。吉田自身も副首相として入閣。陸相に宇垣一成、海相に米内光政の大物を配し、山本五十六を艦隊から呼び戻し軍令部次長に就けている。東条内閣から一転、講和を目的とした夢のような組閣をしている。
ここから先はネタバレになるので記さないが、巷に溢れる幼稚な戦記シミュレーション小説とは異なり、政治的駆け引きと世界戦略や歴史観が丁寧に書き込まれた著作であることだけ明記しておきたい。
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2004.04.30
副題「国民全員が社長の国」
イタリア産業の特徴は、零細・中小企業、家族経営、少数精鋭主義、職人気質、手仕事重視、等々。
その中で印象的なのは、スケールメリットの追求がないことだ。イタリアでは日本企業のような規模の拡大が、成功とは位置付けられていない。彼等は事業が軌道に乗っても、拡大に関心を示さない。会社の大きさよりも独創性、差異性を誇りとしている。その象徴であり、好例がフェラーリ社だろう。
さて本書では様々な仕事で成功し、今もそれを楽しんでいるイタリア人達が紹介されている。美貌の靴磨きに始まり、自転車や生ハム作りの職人、果ては悪魔払いやパパラッツィまで、取材を元に構成されている。
全員に共通しているのは、(当然のことだが)自らの意志でその仕事をしていることだ。決して誰かに命じられたり、生活するために渋々働いている訳ではない。彼等にとっては働く喜びもまた、歌い、食べ、愛する喜びに並ぶ快楽なのだろう。
イタリアでは今、子供の生まれる数より、起業の数の方が多いらしい。自分のスタイルでの仕事を突き詰めれば、組織に属するのは適さないと割り切っているようだ。
未だに大企業が無節操に尊ばれ、それに属することが喜びのように捉えている日本国とは、様子が随分違う。まず日本人は、大きさが強さであるような考えは捨て、組織の美しいサイズを再考すべきだろう。その中で自分を中心とした小さな組織が好ましいと判断したら、そこで起業すればよいと思う。無節操な起業奨励も感心できない。
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2004.04.24

「実践的ビジネストレーニング誌」と題された季刊誌。興味のある特集号は購読。
で、今号は「独習法 ビジネスパーソンはこっそり学ぶ」。各分野の14+1人が「学ぶ」ことについて語っている。
面白かったものをいくつか列記すると、
脳医学者川島隆太によると、脳を鍛えるには音読や単純計算がよく、料理や編み物、楽器演奏、折り紙など手先を使って何かをつくることが、脳の活性化には効果的なのだそうだ。
NHK週刊こどもニュースのキャスター池上彰の「素人の視点で考える」、「図解化する」、「原典にあたる」ことによる事例としての、鳥インフルエンザのはなしは興味深かった。
発症地から半径30キロ以内の鶏と卵の移動が禁止なったが、なぜ50キロでもなく、10キロでもなく、30キロなのか。答えは、感染媒介となるハエの移動距離だから。また半径30キロの円を描くと、京都、大阪、福井、兵庫の2府2県にまたがり、広域行政の問題であったことが明らかになる。更に養鶏業者の責任や損害補償を考えるには、家畜伝染病予防法を読む必要がある等々、理路整然だ。
感想として、独習の肝は、独り善がりにならず、如何に説得力を身に付けることなのかな、と思った。
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2004.04.18
副題「競争社会の二つの顔」
裏表紙に「著者から読者へ」として次の一文が記されている。
市場機構と民主制---この二つの装置をいかに使いこなしていくか。いま求められているのは、自由・平等・秩序を同時に保持することの難しさを認識し、その困難を克服しようとする意志と知的粘り強さである。
変えられるものをどう改善し、変えられないものをいかに受け入れるのか、そこを見極めるための議論のベースを提供したい。
2001年の発行以来、再読を重ねている座右の一冊だ。
日頃から漠然と抱いている疑問や問題意識を、本著では的確に代弁してくれている。
例えば、民主制至上主義とも言える世論の傾きに対して、「すべての国民は、公共の福祉を識別する最も賢明な判断力を持つ者、公共の福祉を追求する最も有徳の人物を支配者と選ばなければならない。」として、代表民主制本来の利点を説き、更に「多数決原理を神聖視したり絶対視することは危険であり、さまざまな問題を引き起こす。」として、学級会の頃からの迷いを払ってくれている。民主主義は現在の人類社会には適当であるとは思うが、最も優れたものだとは感じていなかった。本書でも民主制の弱点について「民主制の社会は、つねに平均的なものへの傾斜、利己心への無制約な発現、私的生活への限りない没頭、公的な事柄への無関心に支配されやすい。」と例証してくれている。
またリーダーについても、「ある人物が好きか嫌いかということと、その人物が能力が有るか無いかということは必ずしも一致しない。」、「有能なリーダーにはある程度の有害さはつきものだ」と言及し、そのマキャベリズム振りにも好感を抱いた。
更に最近のイラクでの邦人誘拐事件を発端に多くの国民が意識した「個人と国家」という発想についても、日本では「個人の利己主義の行き過ぎを、国家がどう制御するのか」という問題意識が強く、「公共精神をすでに含み持った個人」という前提が弱いと指摘している。
本書は今後も時々再読して、考えの整理に活用したいと思っている。
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2004.04.17
原題"Empire : A Very Short Introduction"
岩波書店が廉価で出した「1冊でわかる」と題した入門書シリーズの1冊。ところが読解力不足のためか、よくわからなかった。
西洋史を軸に帝国主義を説こうとしているが、話題が時空を縦横に彷徨い、学識不足の小生には付いていけなかった。また今世紀の帝国主義として、Microsoft WindowsやMcDonaldのハンバーガーの登場を期待したが、グローバリズムを含め言及が弱かった。
但し、書き出しで「帝国」を明解に言い当てていた。
流通であれ、金融であれ、メディアであれ、はたまたスポーツであれ、大きな組織であれば、それを嫌う人にとっては、「帝国」なのである。
また翻訳者の見市雅俊の「あとがき」が名解説で、読了感を救った。
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2004.04.11

地球侵攻軍総司令マ・クベ中将は、ドズル中将直衛部隊であるランバ・ラル大尉からのドム補充要請を断り、結果的にラルを見殺しにした。ラルは死に場所を求めるかのように戦い、散った。
ラルはドズルから、木馬を討ち、ガルマの仇を取れば、二階級特進の約束を得ていたようだが、ラルの本心はそこにはなく、不器用に戦い抜くことに、自らの存在意義を求めていたようだ。
青い巨星…墜つ。
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2004.04.10
先に1巻「始動編」で試作1号機左肩の砲身は1号機専用の装備だと思っていたが、本巻でアムロはそのショルダーキャノンの換装を整備員に要求し地上戦に出ている。つまりショルダーキャノンは、1号機と2号機を含めたRX78型のモビルスーツ共通の着脱可能な装備であった。これもアニメーションにはない装備だ。
また、ガルマとシャアとの再会シーンで、シャアが左手を差し出し握手を求め、ガルマがそれに応じているのが気になった。左利きなのか。それとも意味深だったのか。
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遂に読み始めてしまった。取り敢えず、1巻「始動編」と2巻「激闘編」まで。
面白い!!! アニメーションにはなかったエピソードも含まれ、ストーリーに厚みが増している。
例えば、試作機であるガンダムが2機あって、アムロが搭乗するのは2号機だった。1号機は最初のザクとの戦闘で喪失するが、2号機とは多少形状が異なり、左肩に砲身があり、目のデザインもガンキャノンに近いものだった。
他にもホワイトベースの本来の艦長であるパオロ大佐が予備役で、兵学校の元教官でもあり、更にその長いキャリアのスタートは魚雷艇乗りだったことなどが台詞に散りばめられている。
ともかく2巻までで、木馬はシャアの追撃を振り切り大気圏に入った。3巻からはガルマ・ザビ大佐の登場だ。
今夜はベッドで続きを読もう。
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2004.04.04
B&Bの島田洋七に影響を受け、お笑いの道に踏む込んだ島田紳助と、その島田紳助に影響を受けた松本人志の交換対論。
二人に共通しているのは、非常に頭が良く、充分に考えている点だ。流石と唸るほどの洞察力だ。
違いは多くある。紳助は組み立てていくタイプであるのに対し、松本は考え抜いたあとに出たとこ勝負をする。紳助は観衆と距離を置き、自分の芸で道を切り開くのに対し、松本は相方の浜田の役割を活用し、自身の独特な芸風を観衆に教え込み浸透させた。
そんな二人がお互いを分析し、自分を再認識している興味深い本だ。普段TVでは語られることがないような、まじめなネタだ。笑い捨てることなどできない笑いの哲学。
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2004.04.03

CMガール特集。
わずかな時間で商品を宣伝するのに、若い女性を使うのは、古今東西において効果的なようだ。ただその女性のタイプは刻々と変わっている。特にCMアイドルは時代の顔だ。しかし時代を超えた顔もある。
掲載された68人のうち、特に優れた顔立ちだと思ったのは、表紙も飾っている加藤あいだ。目鼻立ちのバランスが非常に良く、デザイナーの手による工業製品のようだ。仮に彼女が男であっても美男子として多くの女性を惹きつけるだろう。所謂男顔とも言える性別を超えた美貌だ。
彼女は14歳から現在21歳までの7年間も、ドコモのCMに出演し続けている。ポケベル、シティフォン、iモードとドコモの歴史、つまりは日本の移動情報機器の歴史とともに彼女は歩んできた訳だ。まさに本物のCMガールと言えるのではないか。
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2004.03.28
副題「自民党裏面史に学ぶ」。著者は新聞記者から田中角栄の政務秘書に転身した角栄の側近中の側近。
角栄を中心に同時代の自民党政治家達のエピソードが、なかなかの名文で綴られている。特に角栄の知らなかった一面を面白く読んだ。
例えば、角栄は長男を3歳で亡くしており、同い年の小沢一郎を我が子のように可愛がった。
また角栄は若い政治家に、選挙への心構えとして、戸別訪問三万軒、辻説法五万回を力説した。
更に角栄が土建業から身を起こしたことは知っていたが、一級建築士であったとは知らなかった。
角栄は勉強家で、事実や数字を重視した。緻密で勤勉に加え、大胆だった。
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タイトルは軽いが、なかなかの名著で、小林秀雄賞を受賞している。著者は東京大学経済学部長。
前半では、会社、企業、法人について、丁寧に解き明かしている。その上で、会社は株主のものであるというアメリカ型の株主主権論を否定している。
株主とは株式の所有者である。株式とは会社に対して持つ権利のこと。その権利には、総会議決権、利益配当請求権、残余財産請求権などがある。つまり株主はこれらの権利の所有者に過ぎない。会社資産の所有者は、法人である会社であって、株主ではない。
本書後半では資本主義についても明瞭に説いている。
「資本主義とは、利潤を永続的に追求していく経済活動」であり、時代と共に商業資本主義、産業資本主義、そしてポスト産業資本主義へと変遷を経ているが、「利潤は差異性からしか生まれない」ことは一貫している。
商業資本主義では、ある地点で安いモノを別の地点で高く売るという、市場間での価格の差異から利潤を生み出している。産業資本主義では、産業革命で上昇した労働生産性と、農村の産業予備軍によって抑えられた実質賃金率との差異から利潤を生み出している。
「ポスト産業資本主義とは、差異性を意識的に創り出すことによって利潤を生み出していく資本主義の形態」としており、ここでの利潤創出方法の究極は「情報の商品化」であると説いている。情報とは差異性そのものであり、同一の情報には情報価値がない。「情報の商品化」とは「差異性の商品化」と言い換えられる。
このポスト産業資本主義では、カネで買える有形資産よりも、ヒトの自由意思に支配される知識資産の方が、重きを為すようになる。つまりカネの重要性が下がる。従って出資者でもある株主の役割も下がる。株主は知識資産を支配することは出来ない。株主主権論はここでも否定されている。
「企業組織とは、それに参加する経営者の企画力や技術者の開発力や労働者のノウハウといった、組織特殊的な人的資産のネットワークにほかならない」と結んでいる。
要約すると上述のように概念的になって不明瞭だが、本書ではたっぷりと紙幅を取って、中学校の社会科教諭のように丁寧に具体例を挙げて語り説いており、とても好感を持った。
また著者の真摯な態度が次に一文に現れ、非常に感銘を受けた。
「経済学という学問がほかの社会科学よりも優越しているところがあるとしたら、それは、経済学が合理性の論理を徹底的に推し進めることによって、みずからの学問としての限界を明らかにすることができるということにある」
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2004.03.21
葛飾北斎の生涯を描いた漫画。北斎好きだけに書店で思わず手に取った。
北斎の生涯は謎が多いため、この漫画はフィクションだが、それでも北斎の驚異的なバイタリティーが伝わってくる佳作だ。クレイジーな生き方が良く描かれている。「画狂」という称号が似合う。
北斎については以前から、「江戸時代の浮世絵師」という枠だけでは収まらない日本史上最高の芸術家だと崇拝している。
そういえば、1981年に新藤兼人監督、緒方拳主演で映画化された「北斎漫画」も面白かったな。樋口可南子vsタコは圧巻だった。
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2004.03.20

すっかり定期購読してしまっているR25だが、早くも新鮮味は薄れつつあり、期間限定の無料配布が終了する頃には、手に取ることもなくなりそうだ。
但し、本号巻頭のPHOTO REVIEWには目が留まった。陽光を浴びる山腹に、謎の巨大なコンクリート柱が林立する写真。
読むとそれは、建設中の第二東名高速道路の橋脚群だった。「無駄な道路は造らない」に反対の余地はないが、それではこの日本列島に、今後新たに必要な道路などあるのだろうか。そもそもあと数十年もすれば、この国の人口は減少を始め、更には高齢化でドライバー人口も益々減るはずだ。今以上にモータリゼーションが進むとは到底思えない。
民営化される道路公団に期待するのは、道路を造ることではなく、むしろ使わなくなった道路を元通りの野や山の姿に戻すことだ。
見開き2ページに跨ぐこの写真は、多くの読者に道路問題を考えさせるのではなかろうか。
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2004.03.14
処世訓→人生訓。
巻頭で「『愛される自分』より『愛した自分』に満足する」ことを掲げ、まずは主体的に生きることを説いている。当たり前のことだが、いくつか例証されると思わず我が身を省みる。
次に自分のアイデンティティーを「かたち」として表現することを勧めている。そのかたちを本著では「作品」になぞらえている。作品を世に出すことで多くの人に揉まれ、作品にも広がりを得て、「独り善がり」にもならずに済む。
次に「とことん考える」ことで、作品の質を高め、人生の深みも増す。
最後に、優先順位を意識することで人生は充実する。優先順位は、目先の利益や効率だけに囚われず勘案せよ。そうすれば「賢い妥協」も出来るようになる。
要約すると上述の通りだが、かなり脱線と寄り道が多いので、気ままに読むと真意を見失いそうになる本。
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2004.03.10

リクルートが先頃プレ創刊として無料配布を開始した週刊誌「R25(アールニジュウゴ)」。写真は明日3月11日配布のプレ創刊第2号。東京、横浜、川崎各地の主要駅にラックを設置し無料配布中。
そのR25プレ創刊第1号を拾い読みして「へぇ」だった小ネタをひとつ。
…日本の軍事費は、空母や核兵器を持つイギリスやフランスより高い。
世界の2001年軍事費ランキングによると、アメリカが3,224億ドルでダントツ1位は当たり前として、2位ロシア(637億ドル)、3位中国(460億円)に次いで、我らがニッポンは堂々395億ドルで4位。銅メダルは逃したものの大したものだ。ベストテン入りはしてるかなと思っていたが、世界4位はちょっとビックリ。
ちなみに5位はイギリス。大英帝国女王陛下の軍隊も、懐具合では憲法上軍隊ではない謎の武装集団「ジエイタイ」の軍門に下るのだ。ブラヴォー・ツー・ゼロが泣くよ。
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2004.03.09
歴史コミック。先に紹介した安彦良和作画「アレクサンドロス」の姉妹本。
クビライ・カアンは、チンギス・カンの孫にして、モンゴル帝国第5代皇帝。当時モンゴル帝国は王家諸家の自治国家の集合体で、その中枢国家が元帝国。「元寇」の「元」だ。クビライはその元帝国の初代国王でもあった。しかしその地位も兄弟骨肉の争いの末に、40代半ばにして手にしている。本書ではそれを「チンギス・カンを信長に例えれば、クビライは家康」と書いている。
クビライの治世は、勇猛な遊牧民のイメージとは裏腹に、新首都建設や人工湖、大運河といった土木工事、税制の簡素化による貿易や流通の拡大、紙幣取引、天体観測など、大規模且つ多岐に渡った。クビライはまた、マルコ・ポーロにも謁見し彼を気に入り、17年間も引き留めた。
しかしなぜ、この繁栄を謳歌した大帝国が、取るに足らない東の小さな島国を二度までも攻めたのか。本書でその目的は大量移民にあったと描かれている。先に占領支配した南宋国の軍人のうち、老兵や病兵の処分先として日本を選んだに過ぎないと。
1281年の第2次日本遠征(元寇)では、4,500の船艇で非武装移民を含む14万人を送り込んだが、日本側の必死の水際作戦で強行上陸に失敗した船艇が、沿岸に立ち往生したまま暴風を受け撤退してしまう。「しかしこれで、日本人もようやく、海の向こうには強大な力と意志が存在していることを、肌身に感じたのだ。」
他にも首都大都の構造が鎌倉や平泉に似ていることから、クビライは祖父から何らかの影響を受けたのではないかとも書いている。つまり祖父チンギス・カン=義経という仮説にも触れている。
本書全体の印象は、淡泊で薄味だ。その分、更なる興味を誘う仕掛けにもなっている。
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2004.03.07
エルメスにまつわるエッセイ集。エルメスの歴史や商品ラインナップの解説がなく、単なるエルメス好きの心構えに終始してしまっているのが残念。
ハンカチが6〜8千円。ポケットチーフ1万円。スカーフ4万円。財布15万円。ケリーやバーキンといったバッグに至っては50万円。ん〜ん…、本書は男性諸氏へのハザードマップとして有益だ。
それにつけても、この国ではこれほど高価なものが、庶民層にも結構売れているのだから驚きだ。購入した女性達はグレース・ケリーやジェーン・バーキンになった気分なのだろうか???(そんな訳ないか)
まぁ、夢を買うのは本人の自由だとしても、並みのOLの財力では踏み込めない世界のはずだ。とは言え、高級ブランド好きの執念はもはや異常だ。会社の金を横領したり、夜のバイトに励んだりするのかもしれないなぁ。
エルメスをお持ちの若い女性諸君、男達はそういう目で見ているかも知れないので、ご注意を。
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歴史コミック。壮大な東方遠征を果たした英雄の生涯。紀元前356年に生まれ、紀元前323年に遠征からの帰国後、33歳の若さでバビロンで病死している。
グローバリズムの是非が問われている現在、異文化との遭遇や衝突の原型を観た思いだ。しかし本書で主人公アレクサンドロスの遠征の意図は、悪意のない冒険心だと描かれている。確かに大王を自称し多くの文明を征服したが、それはあくまでも子供心に夢見た東の地の果てを目指しただけだったと。
我々人類はこの殺戮と征服という悲劇と引き替えに、文明の交配による進歩を得た。それは否定出来ない事実だ。しかしこれは紀元前の話だ。21世紀の現在において、経済や商業、ましてや軍事力による異文化の支配や抑制からは、得る物は極めて少なく、悲劇は多いと思う。
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2004.02.29
表題作はヘミングウェイの足跡を追った紀行文。評伝としても読める。写真もよし。
併載している短編小説「Most Valuable Player」でも、ハバナ郊外を舞台に、ヘミングウェイと地元の子供達との、野球を通じた交流が描かれている。
もう1作併載されている「コンクリート謝肉祭」では、著者得意の毒舌悪態が炸裂している。実に痛快で心地良い。
それにつけても、ヘミングウェイは男の憧れだ。ヘミングウェイにとって文筆業は喰っていく手段であり、人生の目的ではなかったように思う。銃を愛し、海を愛し、闘牛と野球を愛し、酒と女を愛した。スペイン内戦も、ノルマンディー上陸作戦も、パリ解放も、自ら望んで出かけていった。ついには愛艇を駆ってナチのUボート狩りまで楽しんだらしいじゃないか。人生こそが冒険活劇なのだ。まるでフリーランスのジェームス・ボンドだ。羨ましい。都知事になるより、ずっと羨ましい。
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2004.02.28
1992年、インターネット以前に書かれたコミュニケーション論の名著。
本書に例示されるパソコン通信やパーティーライン等は既に絶滅したため、現在の読者には事例としての興味を惹かないが、これらを携帯メールや2ちゃんねる、weblog等に置き換えると、論旨は説得力を持って迫真してくる。
匿名性、断片人格、自己演出。これらキーワードに対する考察は今も的を射ている。乱暴に要約すれば、電話やチャットといった制限メディアによって匿名のコミュニケーションが成り立ち、その際人格のある一面だけが表出されたり、時には誇張、上積み、差し替えた人格が表出される。
読了後の感想として、これらは病理として捉えられず、むしろ現代人の心の捌け口として有効に機能しているように思えてならない。
著者も本書でこれら考察を前提に、意識交流モデルを提案している。しかしこれは残念ながらあまりに抽象的で具現化には遠い。
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2004.02.21
作家と政治家の対談集。
同病の心筋梗塞が縁で交友を結んだ話に始まり、お互いの生い立ちや、それぞれの山荘の暮らしぶりが話の中心となっているが、原子力発電所や沖縄の米軍基地の事も少々語り合っている。
この本で、不破氏が子供の頃SF作家を夢見ていたことを知り、少し親近感を持った。「日本共産党の」と肩書きが附くだけで今まで無意識に敬遠していた人物の一人だった。
また、水上氏の故郷である若狭に日本の原子力発電所の三割が集中し、その地域的密集度は世界的にも稀であるとは知らなかった。
但し、多少イデオロギーめいた話になると、すっかり醒めてしまった。
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2004.02.15
エッセイ集。その中の「なんてったってリーダー」にて、「人の悪口が言える」ことがリーダーの条件のひとつとされている。著者曰く「陰口ではなく、堂々と自分の敵に宣戦布告できるからこそ、リーダーなのである」と。
ナルホドネと感心していたら、文末で「感心している人は、リーダーになれない」と結ばれている。「なぜなら、リーダーとは、いつの間にか、リーダーとして担がれている人のことだからである。」ご尤も。参りました。
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2004.02.12

著者(写真)の処女作。
捨てたパソコンが縁で知り合った不登校の女子高生「私」と、同じマンションに住むしっかり者の小学生「かずよし」が、押し入れの中で風俗チャットのアルバイトを始める。
起承転結もあり短く簡潔だが、その分淡泊で後味も軽い。
上戸彩を主演に映画化されるそうだ。
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2004.02.08
歴史エッセイ集。ここで紹介された坂本龍馬の語録を読み、龍馬の印象が少し変わった。
そのいくつかとして、「人を殺すことを工夫すべし。刃にはかようにして、毒類にてはかようにしてなどと、工夫すべし。乞食など二三人試みておくべし」、「涙というものは人情を示す色なり。愚人や婦女子には第一にききめあるものなり」等々。
今まで龍馬の印象を司馬遼太郎や武田鉄矢に影響されすぎていたのかもしれない。颯爽としたイメージが強すぎ、ダーティーな面を想像していなかった。
上述の語録に接し、龍馬にマキャベリズムを感じた。考えてもみれば、あの時代にあれだけの大事を為したのだから、純朴な好青年を夢見る方が間違えだったのかもしれない。そう思うと高嶺のヒーローがグッと身近に感じ、新たな好感を持てるようになった。
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2004.02.07
政治家と学者の対論集。お互いの生い立ちに始まって、思想、文化、外交、宗教と幅広い対話がされている。
中でも中曽根氏が披露した運輸大臣時代のエピソードが面白かった。
日ソ航空協定の報告で参内したとき、昭和天皇に司馬遼太郎の「殉死」に書かれた乃木希典切腹前日のことを尋ねた。その日、幼少の秩父宮、高松宮と共に乃木から「中朝事実」の講義を受けた昭和天皇は、乃木の様子に不審を感じたと司馬は書いていた。中曽根氏はその事実を確かめたくて、恐れ多くも直接天皇に尋ねたのだ。天皇の答えは「そんなこともあったかもしれないね」。中曽根氏は持参した「殉死」を置いて帰った。その後昭和天皇が「殉死」に目を通したかは定かでないが、日本近代史の1ページとして残したいエピソードだ。
ただこの本の終わりに近付き、「中曽根大宇宙教」などという独自の宗教観が登場してきたのには閉口した。
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2004.02.01
処世訓エッセイ。
著者の失敗談が凄い。億単位の金を投資や事業で幾度と失っている。騙されたり裏切られたりもある。
著者の言う楽天家とは、「物事を希望的に観測する人」ではなく、「事態のきびしいことはそれなりに認識しても、人間の知恵は必ずそれを解決できるという信念を持つ人」である。
本書には難しい理屈も、奇抜な処世術もない。むしろ当たり前なことが書かれている。しかしその「当たり前」こそが強さと明るさの源のように読み取った。
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2004.01.31
1999年の近未来予測。文体が平明で好感の持てる著作。
ここでの見通しを今検証してみると、確かにインターネットや携帯電話に代表される個人レベルでの情報受発信の激増は、個人の嗜好とライフスタイルを多様化し、世の中の姿を分類整理も出来ないほどに複雑なものにした。画一性こそむしろ不自然となった。集団や組織の役割も大きく変わり、個性を抑制する必要が薄れた。
但し言葉を裏返せば、情報量の増加は社会の結束を弱め、多くの人がバラバラに生きるようになったとも言えよう。この先バラバラになった我々は、どのように絆を再構築していくのだろう。
著者の見通しは概ね正しかった。但しこの本では暗い見通しには触れていなかった。明るさは暗く長い道の先にあるように思う。
読了後思った。雑踏の中でこそ孤独に襲われるものなのだと。
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2004.01.25
再発コミック全8巻。但し最終第8巻は初出。待望の完結。
1980年代後半に第7巻まで単行本として発刊されたが、背景に描き込んだ城郭などの建築物が、ある写真家の作品からの模写だったため問題となり、最終の第8巻が未発刊のままになっていた。今回それらの問題をクリアしての全巻再発。当時第7巻まで買い揃え愛読していたが、本能寺を前に未完に途切れ、随分残念に思っていた。
織田信長を取り上げた小説やドラマ、映画、コミック類は数多くあるが、その中でも本作は最高傑作だと思う。
優れた小説家達ほど信長の巨像に距離を置いている。司馬遼太郎は「国盗り物語」で、信長ではなくむしろ光秀を書くことで信長像を描いている。ドラマや映画などの映像作品では、役者が信長のキャラクターに溺れて陳腐な出来になってしまっていることが多い。NHKの大河などはその悪例だ。
それらに比べ本作は信長の本質に迫り、その冷徹さが見事に表現されている。日本史上最強の独裁権力者であり、軍師も必要としない稀有の大戦略家が、いくつものエピソードを積み重ねて描かれ、読み手に殺気と共に迫ってくる。
ちょっと褒めすぎかもしれないけど、それほど読み応えのあるコミックだ。
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2004.01.22
1999年当時のメディア界の仕掛人13人へのインタビュー集。
TVプロデューサーやメディア業界の経営トップなどは、本来裏方で有名人ではない。本書の登場人物もほとんど馴染みがないが、彼等の手掛けたものは誰もが知っている。しかし13人の個性や方法論はバラバラで、成功の方程式は見あたらない。全く十三者十三様だ。
それでも強いて共通していると言えば、冷静に自分自身を見ていることかもしれない。何をしてきたのかを明確に語っている。つまり自分が誰なのかといった迷いがない。成功者の特徴なのだろうか。迷わないことが成功や目標、夢への近道なのかもしれない。
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2004.01.21
1997年に橋本内閣で厚生大臣だった時の本。エッセイ風の政策論と対談。
郵政三事業の民営化を「政治生命を賭けた主張」とし、他に医療制度改革や教育論について多くの紙面を割いている。小選挙区比例代表制を批判し、首都機能移転や首相公選制も提案している。外交や安全保障についての発言は少なく印象的なものはない。
首相公選制については首相となった今も、憲法改正のサイドメニューとして掲げているが、首都機能移転については石原東京都知事への配慮か今は沈黙している。
首相としての小泉純一郎は、嫌いではないが優れた政治家だとは思っていない。ただこの本を今にして読んでみると、政策論者としての素養はまずまずだなと、少しは見直した。国家のトップともなると、思ったことも言えず、少し気の毒でもある。政治家は無役のうちが花なのかもしれない。
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2004.01.18
これもまたまた古本屋で入手。交友録集。テレビに関するメディア論も少々。
マクルーハンのとおり、テレビはハプニングメディアだ。そこに登場し魅力的たるのには、意外性を持つ者が有利だ。予想されるネタではなく、斬新な切り口からこそ、強い共感を引き出すことが出来る。
牛丼食い納めで吉野屋繁盛。雪が降れば、RSSリーダーにも雪ネタが積もる。共感できるハプニングなニュースなのだろうが…。雑多な情報が蔓延するblogをマクルーハンならば、何と評するのだろ。そんなことを思いながら読了。
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2004.01.17
これもまた古本屋で仕入れたもの。
8割が与太話&自慢話。頭が疲れずに読み飛ばせる本。それでも2割には処世術の良いヒントが書かれていた。「最高の処世術は妥協することなしに適応することである」
この著者は、それほど理屈っぽくないので以前から好きだ。経歴が顔に出ていないところも、また好きだ。東大法学部→読売新聞経済部→三菱商事→ハーバードMBA
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2004.01.12
1999年11月から2002年10月までに、産経新聞に連載したコラム集。
つくづく愛国者だなぁと感心する。その余りの故かの中国嫌いはいただけないが、外交と国防については流石に急所を突いている。とは言え、本書での過激な論述も確信犯のようにも読める。悪人を演じられるのも、優れた政治家の資質のようだ。小沢一郎しかり、野中広務しかり。
そもそも批判を受けないリーダーは、その責務を全うしていないことに等しい。リーダーシップには批判は付き物で、落胆を受けるよりもずっと良い。吉田茂も田中角栄も嫌われた分だけ愛された。
著者が先々国政を担うことには、期待する反面、そうならないで済むようであって欲しいとも思う。
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著者曰く、日本の現状とこれからを考えるにあたっては、「成長」や「成熟」ではなく、「衰退」を大前提にすべきだそうである。その最大の根拠として、少子化による人口の減少を挙げている。
この認識の上に、著者はグランド・ビジョンと3つのシステム・デザインを掲げている。ビジョンとして「拡大首都圏構想」、システム・デザインとして「一人二役」、「二次市場の創造」、「観光立国」の三つを掲げている。
それぞれの着眼点は、読み物としては面白かった。しかし政策提案としては、的外れとは言わないまでも、場当たり的で小粒な印象を拭えない。
いずれにせよ、この種の著作が書店を賑わせているのが日本の現状だろう。談論風発、議論百出、まずは大いに結構だ。ちなみにこの本は、古本屋で新刊同然に積まれていたのを買ってきた。これもまた日本の現状なのだろう。
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2004.01.10
横浜で生まれ育ち、今は東京に暮らす我が身にとって、京都は著者同様に異文化の地だ。まさに観光で数度訪れたに過ぎない京都だが、時々思い出したように言ってみたくなる別格の場所だ。
この本では、観光地としての京都ではなく、そこに暮らす人たちや、ライフ・スタイルにフォーカスしている。手間暇をかけて古い着物を洋服に仕立て直す友人の話では、それを贅沢煮(たくあんをわざわざ二晩ほどかけて塩抜きして煮る料理)に例えている。その友人はその手間暇を単に好きだからと説明している。
秋葉原でジャンク品同然の中古パソコンを買ってきて、Linuxを入れて蘇らすようなものなのかなと思った。
それにしても、麻生さん、美人ですね。
著者のサイト > www.nishijin.ne.jp/keiko-aso/index.html
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2003.12.28
ファーストリテイリング(ユニクロ)CEOの柳井正の初の著書。
素直に読み物として面白かった。それでいて企業経営に対する良質なセンテンスも多く含まれていた。
経営者が本を書くと、兎角学際的に経営を説こうとするものになるか、それとも自己満足的な精神論になる傾向が多い。前者を求めるならば学者の書いたものを読めば済むし、後者を求めるならば多少見込みのある会社の上司と飲みに行けば済む。求めているのは、成功した状況が具体的に書かれ、その上で理路整然とした考察が加えられている本だ。この本はそれをクリアして更に、失敗したケースも同じように分析がされている。なかなかの良著だ。
柳井正はカルロス・ゴーンや出井伸之よりも身近に感じる。ゴーンや出井は、大企業の経営者としては非常に優れているが、柳井のように店頭で顧客に自社製品を売った経験から経営を身に付けたわけではない。柳井は顧客を知り、自社製品を知り、その上に自ら経営手法を確立したことで、ユニクロをカジュアルウエアのトップにした。何よりも柳井の好ましいのは、この成功を冷静に分析していることだ。努力根性論は一切登場しない。
この本は下手な経営学書より、ケーススタディーとしてずっと優れている。これだけの良著でありながら、定価が980円というところが柳井正らしい。
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巻頭記事「権力者は盆栽がお好き?」の盆栽くん達には、すっかり見とれてしまう。たぶん数百万円から数千万円はするだろう代物だ。これだけの盆栽を維持するには「専門の盆栽師が欠かせない」のだそうだ。
我が執務デスクのミニ盆栽「唐楓」は、この秋は遂に紅葉しなかった。
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2003.12.21
近所の古本屋にあったので、暇つぶしに読んだ。
大前研一は山師のようで、以前から嫌いなタイプだ。昔「企業参謀」を読んで途中で投げた。こういう人がコンサルタントで会社に来たら逃げ出したい。コンサルと聞くと大前研一を連想し、嫌悪感すらする。
ところがこの「やりたいことは全部やれ!」は面白かった。エッセイ風の自慢話だが、言っていることはもっともだ。ストイックに生きるだけが人生ではない。流石に快楽主義まで行くには抵抗があるが、面白可笑しく生きてみたいと思うのは、やはり人情だ。
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