宮﨑あおい著「祈り」と非現実感
宮﨑あおいによる中国雲南省の旅行記。写真が多いので写真集とも言えるかも。宮﨑自身が撮影した写真も悪くない。
流石に大河で主役を務めたほどの女優だけあって、考えていることにも共感が持てた。次の文書を読んだ時、そう感じたので、少し長いが引用する。
--- 神様は何となくいると思っていて、時々「もしかしたら周りの人はみんな私のことを騙しているのかな」って考えることがある。実は、私に渡されていない台本を持っていて、その台本に沿ってセリフを話している。私が広いと思っているこの世界は、実は小さな舞台の中。そんなことをたまに思う。
神様がそういうのをすべて動かしている。地球や宇宙は本当はすごく小さくて、中国へ行ったとしても、地図上で見ると遠いけど、実はすごく近いところにある。神様がすごく遠いところに見せかけているだけかもしれない。そんなことを考えることがある。---
この感覚は「トゥルーマン・ショー」そのものだし、騙されていることを薄々気付きながらもそれを楽しむ姿勢は、押井守の傑作「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」かもしれない。自分が創られた世界の登場人物の一人ではないかという感覚は、それがコンピュータ・プログロムの世界だとしたら、「マトリックス」やエメリッヒの「13F」といった映画で感じることが出来るし、その世界が小説の作品の中で、その創造主が小説家だとすれば小松左京の「こちらニッポン…」だ。
こういった突拍子もない発想や感覚は嫌いでない。自分が如何に小さな存在で、この世の中が如何にインチキなものであるかと考えると、すっかり気分が軽くなる。
Comments
この感覚は私も子供時分から持っていました.本当に生きているのは実は自分だけで,周りの人間や世界はすべて作り物,誰かが私の振舞いを観察してる,てな感じです.
私は理性の部分では無神論者,唯物論者なのですが,感覚的な部分では,結構このような創造神話的な感覚を感じていました.
よく考えてみると,これは結局は自我意識に行きつくような気がします.自分とは何か?なぜここにいるのか?という感覚です.
Posted by: 俊(とし) | 2010.06.09 at 08:36 PM
この感覚って、やっぱり誰もが持っているのでしょうか。誰もがDNAにプレインストールされているものだとしたら、まんざら間違った感覚ではないのかもしれませんね。何かこの感覚を有する特別な意味があるのかもしれませんね。例えば人類が跳躍的に進化する鍵だったりとか。もしくは破滅するパンドラの匣か。
なぁんて考えると、ちょっとSFっぽくって面白いなぁ。
Posted by: umex@白梅亭 | 2010.06.09 at 10:56 PM