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2008.03.28

小金井喜美子の名文

小金井喜美子が書いた「鷗外の思い出」という随筆集を読んだ。流石文豪鷗外の妹だけあって、文章が上手い。技術的に上手いというのではなく、スッキリと読みやすく、味わいがある。
随筆集の前半では、幼い妹から見た九歳上の青年鷗外の姿が、敬愛の情を持って描かれている。庭に居たら兄に声をかけられ散歩に出た話や、初めて近所の寄席に連れて行ってもらった話、浅草で写真を撮ってもらった話など、ほのぼのとしている。
後半に進むにつれて、洋行帰りの舞姫事件や、所帯を持った後の家庭不和などが語られ、家庭人鷗外の苦渋が読み取れる。
中でも興味深かったのは、「兄の手紙」と題された一編に載せられた、地方勤務の鷗外から、主婦となった喜美子への手紙である。その手紙で鷗外は妹を「おきみさん」と呼びかけ、愛情の籠もった処世訓を送っている。意訳すると、、、
―――家事に追われる不満があるならば、少しでも哲学や儒教や仏教を学ぶと良い。学んでそれに疑いを持つのも良い。疑うことでその疑いが解けることもある。そして道が分かれば、普段の暮らしが如何に大切であるかが分かり、楽しいものになるだろう。
理路整然とアドバイスしているところが鷗外らしく、面白い。

読み終えて、ふと思った。もしやこの随筆集は喜美子が口述したものを、誰かが筆記校正したものではないかと。「です、ます」調の語り言葉で、無駄がなくリズムが良い。どう読んでも素人の文章には思えないのだ。この随筆集は昭和三十年、喜美子が八十四歳のときに出版されている。その頃、喜美子の孫にあたる青年が同人誌に小説を発表したりしている。もしやその青年による文章なのではないか。全く馬鹿げた空想ではあるが、これにはそう考えたくなる理由がある。その青年とは星新一であるからだ。

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2008.03.21

松田聖子「夏の扉」

冷たい雨が窓ガラスを叩いたかと思うと、急に雲間から明るい日差しが顔を出したりする。ヨーロッパ独特の春の天気だ。
夏にはまだ遠いが、日照時間が延び、明るさが増してくるとなぜかこの曲を思い出す。

1981年4月、デビュー2年目の松田聖子は19歳。立て続けにヒットを飛ばし、テレビの歌番組の常連となっていた。アイドル歌手全盛期であった当時、松田聖子はその頂点に立っていた。
Seikoそして発売された5枚目のシングル曲が「夏の扉」。
テレビで耳にしたその曲に、中学3年だった自分はすっかり夢中になってしまった。松田聖子というアイドルにではなく、その楽曲の明るさの虜になったのだ。アイドル歌手のレコードを買うのは恥ずかしかったが、友達に見つからないように、そのシングル盤を買いに行った思い出がある。
その当時、エアプレイTOTOなどに代表されるAORと呼ばれるジャンルがあった。演奏技術の高い連中が、耳あたりの良い比較的明るい雰囲気のロックを、世に送り出していた。当時の自分は、日本の歌謡曲よりも、アメリカ西海岸から流れてくるそんな音楽に興味があったのだ。
そんな頃に聞いた松田聖子は、AORだった。ピンクレディーや山口百恵のような、それまでの歌謡曲とは全く違って聞こえた。それは松田聖子というボーカリストを中心にした作詞家、作曲家、スタジオ・ミュージシャンによる一種のプロジェクト・チームだったのだと思う。楽曲の良さ、演奏水準の高さ、それに加え松田聖子の歌唱力も今聴いても非常に良い。

ヨーロッパは今週末、復活祭である。そして来週末には夏時間が始まり、季節は春の扉を開けて、夏に向けて走り出す。

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2008.03.20

半七捕物帳全話読了

岡本綺堂の「半七捕物帳」を全て読み終えた。短編68作に、番外の長編1作を加えた計69作である。
明治時代の若い新聞記者が、岡っ引きだった半七老人と親しくなり、昔話を聞くという設定になっている。老人が語る舞台は黒船以降の江戸市中。幕末の英雄たちは登場せず、あくまでも登場人物は庶民やせいぜい下級武士。21世紀の今読んでも、古さを感じさせない洗練された推理小説なのである。その中で江戸の風情が見事に描かれ、目を瞑れば総天然色のその情景が目に浮かぶ。
短編はどれも20分もあれば読めるもので、実にテンポが良い。起承転結も分かりやすく、結末が心憎い。クライマックスになると、半七老人は話を止め、「もうお分かりでしょう」と、新聞記者に種明かしをする。これがまるで映画のラストシーンのように、何ともいえない薫り高い余韻を残しているのだ。
どの作品から読んでも楽しめるが、できれば半七登場の「お文の魂」から順番に少しずつでも読むことを薦める。きっと気がつくと全話読み通すことになるだろう。
今回のこの読書は、全話青空文庫に無料公開されているものを、azurという縦書き表示のブラウザで読んだ。紙の本ではないのだと知ったら、半七老人はどんな顔をするだろう。

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2008.03.19

コルトレーンの脇差

7分ほど時間のある方は、まずこのYouTubeの映像をご覧ください。

ジョン・コルトレーン・カルテットによる「アフロ・ブルー」というジャズの名曲です。
この曲でコルトレーンが吹いているのは、ソプラノ・サクソフォーンと言う楽器です。普段コルトレーンが主に演奏するのは、テナー・サクソフォーンですが、ときどきこのソプラノ・サクソフォーンも使います。
個人的には、テナーよりもソプラノを吹いているコルトレーンの方が好きです。それはまるで剣豪が脇差で立ち回るような鮮やかさがあるからです。所構わず長い本差を振り回すのではなく、畳の上の接近戦では脇差を使うのが、技と言うものではないでしょうか。
コルトレーンがソプラノを吹く姿を見ると、「むむ、オヌシやるな」と嬉しくなります。

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2008.03.17

将来が楽しみなGabrielle Philiponet

Gabriele先々忘れないように書いておこう。
Gabrielle Philiponetは、今はほとんど無名のソプラノ歌手。1980年生まれのフランス人。

今日、エリザベート王妃音楽カレッジの演奏家4組による、格安演奏会に行ってきた。どの演奏家も予想以上に素晴らしかったが、特にGabrielle Philiponetだけが歌唱だったので、演奏会の華を独り占めしてしまった。
彼女は3曲歌った。まずドイツ語を2曲、グリーグの「夢」と、ベートーヴェンの「フィデリオ」の中のアリア。声に張りがあり、説得力のある歌唱に感心した。
最後に歌ったプーランクのフレンチ・オペラ「ティレジアスの乳房」から「いいえ旦那様」には驚いた。まさにオペラの一幕のように、彼女はオーバーアクションで「演じた」のである。この1曲ですっかり彼女のファンになってしまった。まだCDすら出していない若手だが、いつの日かビゼーのカルメンを演じて欲しいと思わせるほどの逸材だ。

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2008.03.13

スロベニア・フィルのマーラー2番「復活」

イタリアの東、オーストリーの南に、スロベニア共和国は位置する。
昨晩スロベニア・フィルの演奏会を聴きに行った。演目は一曲だけ。マーラー交響曲第2番「復活」である。大好きなマーラーの、それも合唱まで付いた大曲をナマで聴けるチャンスを逃すことはできない。
定刻8時を少し遅れ、オーケストラと合唱チームが登場。左奥に控える打楽器チームだけでも7,8人、男女混声合唱チームが30人以上いた。全5楽章のこの「復活」で、合唱は最終楽章だけ。つまり第4楽章が終わったところで合唱チームを登壇させても構わないのだが、あえて最初から登壇させたところがミソ。
そして第1楽章。テンポは少し速め。チェロが不気味に主題を奏で、大曲の出だしとしては期待大。指揮のジョージ・ペーリヴァニアンもダイナミックに棒を振る。
Sabina20分近い第1楽章の後、第4楽章から歌うメゾ・ソプラノのベルナルダ・フィンクと、第5楽章から歌うソプラノのサビーナ・チェイヴィラック(写真)が登壇。このタイミングも良い。第2楽章以降の曲間で登場すると、全体の流れが途切れてしまうからだ。
各10分程度と短めで軽い曲調の第2楽章と第3楽章で、一息つく。
そして第4楽章から声楽が加わり、クライマックスへと進んでいく。
第5楽章では合唱も加わり、壮大な感動のエンディングに達する。
全曲で約1時間20分の演奏時間だったが、退屈な箇所もなく、全く長さを感じなかった。特に第5楽章は、それだけでも単独の作品として成立しそうなほど、雄大で素晴らしいものだった。
心なしかオーケストラの音も、普段耳にしている西ヨーロッパのオケよりも、濃厚で土臭い気がした。マーラーは洗練された都会的な音よりも、多少癖のある民族的な香りが似合う。その点で、今回の演奏は充分に満足できた。

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2008.03.11

福田和也著「地ひらく 石原莞爾と昭和の夢」

4部構成、全65章の大著である。石原莞爾の評伝なのであるが、石原の登場率が低く、時代背景への言及が多い。そのためか読了後、石原莞爾とは結局何者だったのか良く分からない。
貧しい家庭に生まれながら、陸軍幼年学校から、士官学校、陸軍大学、ドイツ留学とエリート・コースを歩んだ天才。根は悪い奴ではないのだが、頭が良すぎて周りを馬鹿にしたところがあり、世の中に馴染めず孤立していた。戦略家であるくせに、理想主義者であり、横暴であるのに、心やさしい面もあった。
そんな石原莞爾が主犯となった満州事変についても、この本では核心に迫っていない。それどころか、まるで石原莞爾が脇役であるかのごとく淡々と書かれている。
満州の地に理想郷を夢見た石原莞爾が、なぜ満州事変という謀略を行ったのかに迫っていないのだ。石原ほどの見通しの利く男が、理想のためならば手段を選ばないなどという、幼稚な理由で画策したとはどうしても思えない。その結果生まれた満州国は、石原の夢見た理想とはほど遠い、インチキ国家になってしまったし、日本社会に謀略すら正当化されるような思想風土を植えつけてしまった。
確かに石原が考えた理想国家は素晴らしい。日本をはじめとするアジア諸国が、欧米列強と肩を並べるための方策としては、歴史的偉業かもしれない。今でこそ日本人が人種差別の的になることは少ないが、20世紀初頭には黄禍論が依然根強く、欧米首脳でさえ日本人を劣等人種だと思っていた。そのような世界の雰囲気を十二分に理解していた石原にとって、理想への邁進だけが唯一の救いの道だったのかもしれない。
著者福田和也は石原贔屓で、石原の功罪をバランスよく書いているとは言えない。その代わり、石原の登場しない時代背景を書いた章は、なかなか素晴らしい。
ルーデンドルフを中心に捉えた第1次世界大戦への言及については、興味深いものであるし、日中戦争中の蒋介石の立場も分かりやすく書かれていた。昭和12年7月の盧溝橋事件から12月の南京攻略までに、何度も講和のチャンスを逃したくだりでは、歴史のifを考えずにはいられなかった。この盧溝橋事件当時、石原は参謀本部第1部長として不拡大の方針を持っていたが、その力は及ばず、泥沼の戦争に突き進んでいく結果となった。因果応報である。
石原莞爾の夢は、満州を完全な多民族独立国家にすることだった。日本の支配を排除するためには、日本とも戦争するつもりだったのだろう。その独立戦争の中で、戦死するのが夢だったのではなかろうか。

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2008.03.10

herbes flottantes - un film de Yasujiro Ozu

Ukikusa
小津安二郎の「浮草」である。昭和34年に大映でリメイクした方である。
hayakarさんが褒めていたので、観たいなぁと思っていたら、普通の家電量販店で、普通にDVDが売られていた。欧州の懐の深さに感激するとともに、その文化的水準に欧州恐るべしと痛感した。
旅回りの一座が海辺の町にやってくる。真夏の風景は陽光に溢れ、まるでイタリア映画のようだ。そのままシチリアを舞台にリメイクしても良いほど、人間模様が生き生きと描かれている。若尾文子の可愛さもさることながら、脂ののった京マチ子も見逃せない。主演の中村鴈治郎の歩き回る姿は、後年東宝で撮られた「小早川家の秋」同様、何とも言えない愛嬌があって好きだ。

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2008.03.09

シド・チャリシーのダンス

フレッド・アステアのミュージカル映画「バンド・ワゴン」を観た。
アステア以上に、ヒロインであるシド・チャリシーの美貌とダンスの巧さに魅了された。

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