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2007.08.21

「青年」に読む鷗外のユーモア

森鷗外の小説「青年」には、作中の主人公から見た視点で、作者自身が描かれている箇所がある。
主人公である小説家志望の青年は、漱石の「三四郎」のように上京して、明治末期の東京の街を歩き回る。ちなみにこの主人公の姓名は小泉純一といい、某国の元首相に似ているが、これは当然パロディーではない。小説の方が本家で、元首相の方がパクったのかもしれない。
この小説の第一章で、主人公が歩き回る様子は、実に生き生きと描かれており、もし徘徊小説というジャンルがあるのならば、その筆頭にあげても良い。
その小泉純一が散歩の途中、
「ふいと左側の籠塀のある家を見ると、毛利某という門札が目に附く。純一は、おや、これが鴎村の家だなと思って、一寸立って駒寄の中を覗いて見た」
「毛利鴎村」とは森鷗外のことである。
この場面で作者鷗外は、主人公の持つ鴎村の印象をこう列記している。
・干からびた老人の癖に、みずみずしい青年の中にはいってまごついている人
・愚痴と厭味とを言っている人
・竿と紐尺とを持って測地師が土地を測るような小説や脚本を書いている人
今で言う自虐ネタなのかもしれない。
結局純一は覗き込んだだけで恐れをなして門前を立ち去っている。
次に第六章では、ある講演会に集まった人たちの会話に毛利鴎村が登場する。まず話題にあがっているのは講演者である「拊石」という人物である。拊石は成功した芸術家で、文芸史上意義のある足跡を残し、最近教員を辞めて文筆活動に専念しているらしい。そう、「拊石」とは言わずもがな夏目漱石である。その拊石の噂話に続いて、いまだに役人をしている鴎村の話題に移る。そこで主人公純一は独白する。
「拊石の物などは、多少興味を持って読んだことがあるが、鴎村の物では、アンデルセンの飜訳だけを見て、こんなつまらない作を、よくも暇潰しに訳したものだと思ったきり、この人に対して何の興味をも持っていない」
またしてもある意味、的を射た辛らつな皮肉を書いている。確かに血気盛んな若者にとって、鷗外の作品は退屈なものが多い。
そして第七章では文豪「平田拊石」が登場して講演をする。文豪森鷗外が文豪夏目漱石を作中の登場人物として描写する興味深い場面である。

兎角鷗外は漱石に比べ堅苦しいイメージが持たれているが、以上のようにまるで「三四郎」のパロディーのようなものを書き、その中で自分自身に随分と皮肉を書いている。久しぶりに読んでみて、その場面ではクスクスと笑ってしまった。あの鷗外の真面目な顔を思い出して。

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