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2004.09.20

鈴木五郎著「撃墜王列伝」

マンフレート・フォン・リヒトホーヘンは、1892年5月2日にプロシア貴族の家に生まれる。陸軍少佐の父のもとから幼年学校に進み、1914年の第一次世界大戦開戦と同時に22歳で騎兵少尉として出征した。しかしそれは最前線ではなく兵站部だった。不満を抱いたリヒトホーヘンは、当時騎兵の一科であった飛行隊への配転を希望し飛行学校への入学を果たした。しかしそこでも希望の操縦将校ではなく、偵察将校の教育を課せられた。1ヶ月の偵察教育の後、東部戦線の偵察部隊に配属されたが、ここでも膠着状態が続き、西部戦線への配転を願い出る。そして遂に希望が叶い、当時まだ秘密部隊であったドイツ軍最初の爆撃部隊に配属され、双発爆撃機に射手として搭乗を果たす。
やがて新鋭戦闘機アルバトロスDIIによる駆逐中隊に加えられ、戦闘機乗りとしてのキャリアを歩み出す。当時の機体はいずれもプロペラ複葉機で、エンジンは200馬力程度、スピードも時速200キロメートル以下である。それでも空中での航空機同志の戦闘は、人類が初めて経験する三次元運動による格闘であった。そんな空中戦黎明期に、リヒトホーヘンは自身の空戦技を身に付け、次々にイギリス機を撃墜し勲章を受けていった。
やがてリヒトホーヘンは愛機アルバトロスDIIIを真紅に塗装するようになった。敵国パイロット達からは「赤い騎士」、「赤鬼」、「赤い男爵(レッドバロン)」と恐れられるようになる。
撃墜スコアが50機を超えた頃から、リヒトホーヘンは国民的英雄となり、皇帝ウィルヘルム二世からも招かれる身になった。地上に降りたリヒトホーヘンは、友人も少なく、酒や煙草もたしなむ程度、最大の楽しみは愛犬と遊ぶことだった。
しかしドイツの敗色は深まる一方で、リヒトホーヘンは戦勢挽回の新鋭の三葉機フォッカーDrIを赤く塗り、イギリス機目指して飛び立つが、1918年4月21日、25歳の撃墜王は80機の撃墜記録を残し、再び愛犬のもとに帰ることはなかった。

本著にはこのリヒトホーヘンを筆頭に、二つの世界大戦下の撃墜王20人の評伝が収められている。
著者によれば、「撃墜王となり名編隊長ともなると、彼を敬慕する列機によって助太刀を受けるか、監視してもらえる立場となって、安全性も増しスコアもますます重ねられていく。」、「つまり撃墜王のかげには、何人かのアシスタントが寄り添っていたということになる。」
更に著者は次のような示唆に富む一文を書いている。
「要するに戦隊長以下各中隊長、搭乗員、整備員の間には団結(Teamwork)、そして絶えざる錬磨(Training)、彼らの戦線に投入された時期と場所(Timing)といった3Tが考えられよう。撃墜王が生まれる背景には、このようないろいろな要素がからんでいるのであり、ただ自らを修練すればいつでもなれるというものではない。孤高の剣豪とはいささか異なるゆえんである。」

それにつけても、機体を赤く塗るのはリヒトホーヘンの後、ポルコ・ロッソとシャア・アズナブルに引き継がれることになるのだが、共通して彼らの操縦技術には美しささえ感じられるのだから不思議だ。

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